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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| ソコ/Ignacio Zoco Esparza |
| オサスナからレアルマドリードへ |
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イグナシオ・ソコ・エスパルサは、1939年7月31日にガルデ(ナバーラ)で生まれました。プロサッカー選手になることを夢見たイグナシオ少年は、エスペランサ・デ・サン・フランシスコ・ハビエルでサッカーを始めました。
15歳の時、オレベナのフベニールに加入。このチームでの活躍にオサスナが関心を示しました。二十歳の時にオサスナと契約。しかしながら、当初、イルニェアへレンタル移籍しました。ソコは、1960年1月10日のオビエド戦で1部リーグでのデビューを果たしました。
複数のトップチームが獲得に乗り出すまで注目される存在になりました。最初に注目したのはエスパニョールでしたが、コーチ陣の望むところではなかったテストを行なったのはアトレティコ・マドリードでした。
1962年夏、レアルマドリードが関心を示した時、直ぐにも獲得しようと躍起になったバルセロナが登場。オサスナの会長は、両方のオファーをソコに伝えて、最終的にレアルマドリードと契約を交わすことを決断しました。 |
23歳を間近にしたソコのレアルマドリード加入は、アマンシオやミューラーと言った後にレアルマドリードの黄金期を築く他の若手選手と重なりました。(レアルマドリードは、デル・ソルがユベントスへ移籍する一方、ディ・ステファノやプスカスと言ったスター選手がキャリアの晩年を迎えていました。)
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| ”イェーイェース”を形成 |
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レアルマドリードでの1年目、1962年−1963年のシーズン、ソコはリーグで13試合(1得点)に出場。レアルマドリードはリーグ3連覇を達成しました。翌シーズンから不動のメンバーとなり、1964年−1965年のシーズン、リーグ5連覇に貢献しました。(両シーズン共にリーグでは1試合のみに欠場)
1966年5月11日、ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで行なわれたパルチザン・ベオグラードとのチャンピオンクラブズカップ決勝戦に出場。ベテランのヘント以外、若手スペイン人選手を中心とした”イェーイェース”の一員としてソコは6年ぶりのタイトル奪取に貢献しました。(ソコは同大会で9試合に出場)
地味なプレイでカメラのフラッシュを独占することはありませんでしたが、ソコは、グランドでのプレイを評価する数多くのファンの愛情と称賛を得ていました。レアルマドリードの”守備の砦”としてプレイしたソコは、攻撃に参加するためのチャンスを逸することはありませんでした。特に、上背があることからハイボールでは確実に捉えて相手ゴールに押し込んでいました。 |
相手チームの攻撃陣を止めるため厳しい守備を見せていました。そのキャリアの中、怪我をしない選手はいないと言えるでしょうが、1968年、唯一、フランクフルトで行なわれたキッカー戦で重傷を負いました。
ソコがそのキャリアの中で特別な思いがあったのは現役最後の1973年−1974年のシーズンの総統杯決勝戦。1974年6月29日、レアルマドリードは、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでバルセロナと対戦。
レアルマドリードは、リーグ・チャンピオンのバルセロナを圧倒。ホームでの決勝戦と言う有利な点を活かして4対0で快勝しました。試合終了5分前、拍手喝采の中で優勝杯を高々と掲げるため、グロッソは友人のソコにポジションを譲りました。ソコは、レアルマドリードのキャプテンとして優勝杯を受け取りました。
ソコは、レアルマドリードでの12年間、リーグで319試合、総統杯で50試合、UEFA大会で64試合に出場。リーグ優勝7回、総統杯優勝2回、チャンピオンクラブズカップ優勝1回を達成しました。
1974年8月28日、レアルマドリードは、元キャプテン、ソコの栄誉を称えてサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでパナシナイコスと親善試合を行ないました。試合開始前、ベルナベウを満員にした観客が拍手喝采する中、ソコは、カトリック王イサベル女王騎士団勲章を受章しました。
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| 欧州選手権で優勝 |
ソコは、1961年4月12日にグルノーブルで行なわれたフランス戦でスペインB代表でデビュー。この試合はスペインA代表入りに役立ちました。4月19日にカーディフで行なわれたワールドカップ予選のウェールズ戦でスペインA代表でのデビューを果たしました。
1964年の欧州選手権でスペイン代表入り。スペインは、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた決勝戦でソ連を2対1で下して優勝。(マルセリーノの有名なゴール)また、1966年のワールドカップ・イングランド大会でスペイン代表入り。(スペインはグループリーグで敗退)
1969年2月23日にリエージュで行なわれたワールドカップ予選のベルギー戦がスペイン代表での最後の試合になりました。ソコは、スペイン代表で通算25試合に出場して1得点を挙げました。
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| レアルマドリードOB連盟の副会長に就任 |
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ソコは、スポーツ功労賞を3回受賞。1963年にパトリシオ・アラボラサ賞を受賞。1962年と1964年にナバーラ最優秀スポーツ選手賞を受賞。(レアルマドリードで通算538試合に出場して23得点を記録)
ソコは、歌手のマリア・オスティスと結婚、3人の子供の父親。現役引退後、ナバーラのUCDのスポーツ部門代表を務めました。その後、レアルマドリードに戻り、クラブの歴史編纂を担当しました。
1994年1月21日、トップチームのデレガドとしての機能を果たすことを任されました。1995年、心臓の不整脈でマドリードのルベル病院に入院、10月16日に手術。1996年1月15日に退院。 |
ソコは、1998年6月30日までレアルマドリードのデレガドを務めました。現在、ソコは、レアルマドリードOB連盟の副会長を務めています。
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| 基本情報 |
| ポジション |
ミッドフィールダー |
| 出身地 |
ガルデ/ナバーラ |
| 国籍 |
スペイン |
| 生年月日 |
1939年8月31日 |
| 身長 |
184センチ |
| 体重 |
81キロ |
| レアルマドリード在籍 |
1962年8月1日−1974年6月30日 |
| 1部リーグデビュー |
1960年1月10日 オビエド対オサスナ |
| 代表デビュー |
1961年4月19日 ウェールズ対スペイン |
| 代表最終出場試合 |
1969年2月23日 ベルギー対スペイン |
| 代表出場試合数 |
25試合(1得点) |
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| 経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1954年−1959年 |
オレベナ |
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- |
- |
- |
| 1959年−1960年 |
オサスナ |
12 |
1 |
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- |
- |
- |
| 1960年−1961年 |
オサスナ/2部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1961年−1962年 |
オサスナ |
28 |
3 |
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- |
- |
- |
| 1962年−1963年 |
レアルマドリード |
19 |
1 |
9 |
1 |
C1 |
2 |
1 |
| 1963年−1964年 |
レアルマドリード |
29 |
1 |
3 |
0 |
C1 |
9 |
3 |
| 1964年−1965年 |
レアルマドリード |
29 |
1 |
3 |
0 |
C1 |
6 |
0 |
| 1965年−1966年 |
レアルマドリード |
30 |
1 |
4 |
0 |
C1 |
9 |
0 |
| 1966年−1967年 |
レアルマドリード |
26 |
0 |
6 |
1 |
C1 |
4 |
0 |
| 1967年−1968年 |
レアルマドリード |
29 |
2 |
8 |
1 |
C1 |
8 |
0 |
| 1968年−1969年 |
レアルマドリード |
23 |
1 |
2 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
| 1969年−1970年 |
レアルマドリード |
28 |
0 |
8 |
0 |
C1 |
3 |
0 |
| 1970年−1971年 |
レアルマドリード |
27 |
0 |
1 |
0 |
C2 |
8 |
2 |
| 1971年−1972年 |
レアルマドリード |
34 |
0 |
3 |
0 |
C3 |
4 |
0 |
| 1972年−1973年 |
レアルマドリード |
30 |
1 |
1 |
0 |
C1 |
8 |
0 |
| 1973年−1974年 |
レアルマドリード |
20 |
0 |
2 |
0 |
C3 |
1 |
0 |
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| タイトル |
| スペイン |
| 2部リーグ |
1960年−1961年 |
| リーグ |
1962年−1963年 1963年−1964年 1964年−1965年
1966年−1967年 1967年−1968年 1968年−1969年
1971年−1972年 |
| コパデルレイ |
1969年−1970年 1973年−1974年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1965年−1966年 |
| 欧州選手権 |
1964年 |
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