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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| サンタマリア/Jose Emilio Santamaria |
| ナシオナルからレアルマドリードへ |
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ホセ・エミリオ・サンタマリアは、1929年7月31日にウルグアイ(モンテビデオ)で生まれました。両親はリバダビア(オレンセ)出身。自宅がナシオナル・スタジアムに近かったためその歓声を子供の頃から耳にしていました。
幼少期は目眩がするほどの速さで過ぎて、1944年11月、ポシートのインファンティルのチームからナシオナルへテスト入団。つい少し前まではサッカー場の出口でサインを貰っていた選手と共に過ごすことになりました。
当初、フランコ・イタリア銀行で働きながらプレイ。1947年4月26日にデビュー。サンタマリアは、メディオセントロのポジションに入り、つい少し前まではサッカー場の出口でサインを貰っていた選手、パス、ピニ、テヘラ、ガンベッタ、クルス、ワルテル・ゴメスなどと共にプレイするようになりました。
ところで、レアルマドリードのサンティアゴ・ベルナベウ会長は、毎シーズン、外国人選手の獲得をノルマに課していました。したがって、1953年にディ・ステファノ、1955年にリアル、1956年にコパがレアルマドリードに移籍。 |
フォワード陣は一杯であったため、ディフェンダーとミッドフィールダーの補強が必要とされていました。第2回チャンピオンクラブズカップの終盤に向かって、レアルマドリードは、サラゴサの選手、トーレスを借りる必要がありました。しかしながら、その後、移籍の合意には至らず、他の選手を模索する必要がありました。
その時、ベルナベウ会長は、3年前の1954年にスイスで行なわれたワールドカップでプレイを見たスペイン系の金髪の若者のことを思い出しました。ナシオナルで素晴らしい活躍を見せていたサンタマリアでした。1957年、サンタマリアはスペインで挑戦するためナシオナルを退団。(リーグ優勝4回、カップ優勝2回、モンテビデオ・カップ優勝1回、リオ・プラテンセ大会優勝1回、南米4チーム対抗戦優勝2回を達成)
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| 5連覇チームと”イェーイェース”でプレイ |
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1957年5月28日、サンタマリアは、チャンピオンクラブズカップを2回制したレアルマドリードのオファーを受け入れることを決断しました。1957年6月にパルク・デ・プランス(パリ)で行なわれた第1回パリ大会で中盤右サイドとセンターバックでプレイしてレアルマドリードでデビュー。
サンタマリアが加入時、チーム内でポジションの変更がありました。センターバックでプレイしていたマルキートスは右サイドバックへ移り、サンタマリアがセンターバックに入りました。
サンタマリアは、9月15日にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれたオサスナ戦でスペインリーグでデビュー。1年目のシーズンにリーグ戦で27試合に出場。レアルマドリードはリーグ2連覇とチャンピオンクラブズカップ3連覇を達成しました。 |
1959年−1960年のシーズン、レアルマドリードのチャンピオンクラブズカップ5連覇、第1回インターコンチネンタルカップ制覇に貢献。1960年−1961年のシーズンからのリーグ5連覇に貢献しました。
1965年−1966年のシーズン限りで現役生活にピリオドを打ちました。レアルマドリード入りした時、サンタマリアは28歳間近でしたが、9年間で通算446試合に出場。リーグ優勝6回、総統杯優勝1回、チャンピオンクラブズカップ優勝4回、インターコンチネンタルカップ優勝1回を達成しました。
サンタマリアは、ヘント、ディ・ステファノ、リアルやプスカスと言ったスター軍団の守備の要として超一流のセンターバックと評価されていました。また、チャンピオンクラブズカップ5連覇を達成したチームと”イェーイェース”に渡って活躍した選手でした。(その記憶と記録は、レアルマドリードの歴史にしっかりと刻まれています・・・)
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| ウルグアイ代表とスペイン代表でプレイ |
サンタマリアは、1952年4月6日のパンアメリカン選手権のパナマ戦でウルグアイ代表でデビュー。1954年のワールドカップ・スイス大会でウルグアイ代表で出場。前回優勝のウルグアイは準々決勝でイングランドに1対2で惜敗。サンタマリアは5試合に出場。1957年4月1日のコパアメリカのチリ戦がウルグアイ代表での最後の試合になりました。ウルグアイ代表で20試合(0得点)に出場。
レアルマドリードへ加入した際、サンタマリアはウルグアイ代表でしたが、当時は優れた選手で代表入りが厳しいものがありました。したがって、スペイン到着の翌年、スペイン国籍を取得してスペイン代表入りしました。1958年10月15日の北アイルランドとの親善試合でスペイン代表でデビュー。
サンタマリアは、北アイルランドのフォワード、マクパーランドとユニフォーム交換を行なおうとしませんでした。同選手は、通訳を介した説明に納得。『サンタマリアは、ウルグアイで”ガリェゴ”(スペインのガリシア地方の出身者)と呼ばれていた時に涙を流していたスペイン人の母親のために思い出にしようとしました。息子が自国の旗のために戦った試合に今回は喜びの涙を流していました・・・』
1962年6月3日のワールドカップ・チリ大会でのメキシコ戦がスペイン代表での最後の試合。サンタマリアは、スペイン代表で16試合(0得点)に出場しました。
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| エスパニョールとスペイン代表の監督を歴任 |
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1966年9月15日、レアルマドリードは、サンタマリアの栄誉を称えてサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでハンブルガーSVと親善試合を行ないました。
レアルマドリードのメンバーは、ベタンコルト:パチン、サンタマリア(デ・フェリペ)、サンチス:フェリクス・ルイス、ソコ:セレナ、アマンシオ、グロッソ、ベラスケス、ヘントでした。(レアルマドリードは1対2で惜敗)サンタマリアは、数分間プレイしてベルナベウに詰め掛けた数多くのファンの愛情に応えていました。
現役引退後、サンタマリアは、指導者としての道を歩みました。1968年、スペインサッカー連盟(RFEF)と契約してスペイン・ユース代表とオリンピック代表を指揮。
1971年−1972年のシーズン、サンタマリアは、エスパニョールの監督に就任しました。1971年9月4日のバレンシア戦でリーグ初采配。(1対1の引き分け)1年目のシーズンは12位で終了。翌シーズン、3位にまで躍進してUEFAカップの出場権を獲得。1976年−1977年のシーズン、UEFAカップでベスト16まで進出。1997年12月18日のラシン・サンタンデール戦(0対4で完敗)の後に辞任しました。 |
1978年、サンタマリアは、スペインサッカー連盟(RFEF)に復帰。1980年の欧州選手権イタリア大会の後に辞任したラディスラオ・クバラ監督の後任としてスペイン代表の監督に就任しました。1980年9月24日のハンガリーとの親善試合で初采配。(2対2の引き分け)
1982年のワールドカップ・スペイン大会で決勝トーナメントまで進出。サンタマリア監督は7月31日に辞任してミゲル・ムーニョスに監督を引き継ぎました。スペイン代表の監督として通算成績は24試合10勝8分6敗。
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| レアルマドリードのご意見番・・・ |
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2005年8月14日のハンガリー代表対レアルマドリードの親善試合の際、チームに帯同。ディ・ステファノ、アマンシオやアントニオ・ルイスと共にプスカスを訪問。10月28日、ラスロサスのシウダード・デル・フットボールで行なわれた元スペイン代表の練習試合をディ・ステファノ名誉会長と共に観戦。
2006年3月2日、チャンピオンクラブズカップ(現チャンピオンズリーグ)50周年を記念してUEFA(欧州サッカー連盟)より栄誉を称えて記念盾が贈られました。 |
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1929年7月31日 |
| 出身地 |
モンテビデオ(ウルグアイ) |
| 国籍 |
ウルグアイ/スペイン |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
ディフェンダー(センターバック) |
| レアルマドリード在籍 |
1957年5月28日−1966年6月30日 |
| 1部リーグデビュー |
1957年9月15日 レアルマドリード対オサスナ |
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| ウルグアイ代表デビュー |
1952年4月6日 ウルグアイ対パナマ |
| ウルグアイ代表出場試合数 |
1957年4月1日 ウルグアイ対チリ |
| ウルグアイ代表最終出場試合 |
20試合(0得点) |
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| スペイン代表デビュー |
1958年10月15日 スペイン対北アイルランド |
| スペイン代表最終出場試合 |
1962年6月3日 メキシコ対スペイン |
| スペイン代表出場試合数 |
16試合(0得点) |
| 監督 |
| 契約 |
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| 1部リーグデビュー |
1971年9月4日 バレンシア対エスパニョール |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1948年−1957年 |
ナシオナル(ウルグアイ) |
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- |
- |
- |
| 1957年−1958年 |
レアルマドリード |
27 |
0 |
7 |
0 |
C1 |
7 |
0 |
| 1958年−1959年 |
レアルマドリード |
24 |
1 |
8 |
0 |
C1 |
8 |
0 |
| 1959年−1960年 |
レアルマドリード |
30 |
0 |
7 |
0 |
C1 |
6 |
0 |
| 1960年−1961年 |
レアルマドリード |
27 |
1 |
8 |
0 |
C1 |
1 |
0 |
| 1961年−1962年 |
レアルマドリード |
26 |
0 |
9 |
0 |
C1 |
10 |
0 |
| 1962年−1963年 |
レアルマドリード |
29 |
0 |
9 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
| 1963年−1964年 |
レアルマドリード |
27 |
0 |
3 |
0 |
C1 |
9 |
0 |
| 1964年−1965年 |
レアルマドリード |
27 |
0 |
4 |
0 |
C1 |
5 |
0 |
| 1965年−1966年 |
レアルマドリード |
9 |
0 |
3 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
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| タイトル(選手) |
| ウルグアイ |
| リーグ |
1950年 1952年 1955年 1956年 |
| カップ |
1948年 1952年 |
| スペイン |
| リーグ |
1957年−1958年 1960年−1961年 1961年−1962年
1962年−1963年 1963年−1964年 1964年−1965年 |
| コパデルレイ |
1961年−1962年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1957年−1958年 1958年−1959年 1959年−1960年
1965年−1966年 |
| インターナショナル |
| ヨーロッパ/サウスアメリカカップ |
1960年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1971年−1972年 |
エスパニョール |
34 |
12 |
8 |
14 |
| 1972年−1973年 |
エスパニョール |
34 |
17 |
11 |
6 |
| 1973年−1974年 |
エスパニョール |
34 |
13 |
8 |
13 |
| 1974年−1975年 |
エスパニョール |
34 |
14 |
5 |
15 |
| 1975年−1976年 |
エスパニョール |
34 |
18 |
4 |
12 |
| 1976年−1977年 |
エスパニョール |
34 |
14 |
8 |
12 |
| 1977年−1978年 |
エスパニョール |
14 |
5 |
1 |
8 |
| 1980年−1982年 |
スペイン代表 |
24 |
10 |
8 |
6 |
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