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ロビーニョ/Robson de Souza, "Robinho"
ロビーニョ ブラジル代表のフォワード。中盤左サイドでもプレイ。小柄で細身の選手ですが、スピードを活かしたドリブルと得点能力は天性のもの。ペレの後継者と言われるほど高い評価があります。2005年−2006年のシーズン、サントスからレアルマドリードへ移籍。
Curiosity
ロビーニョの好きな音楽はファンキー。カバキーニョ(サンバで使用する楽器)も少し弾きます。それから、プレイステーションに夢中・・・[2004年11月]サントスで2度目のリーグ優勝を果たした時の監督がバンデルレイ・ルシェンブルゴ。[2004年12月]

11月6日に母親のマリナ・リマ・デ・ソウザさんの誘拐事件がありましたが、1月15日に無事に解放、犯人は逮捕されました。[2005年1月]ロビーニョにとってルシェンブルゴは二番目の父親。「監督だけじゃなく友人でもある。ルシェンブルゴは特別な存在。僕の母親が誘拐された時、解放されるまでずっとケアしてくれた・・・」とコメント。[2005年1月]

ロビーニョはニックネームですが、ペレことエドソン・アランテス・ド・ナシメントは、「ブラジルでは、メディアは、彼のことをロビーニョ・ド・ナシメントと呼んでるけど、私の親戚ではないことは断言できる。」とオヤジっぽくコメント。[2005年1月]

コンフェデレーションズカップの休養日、エドゥやアドリアーノは観光に出かけたりしていましたが、ロビーニョはロナウジーニョとホテル・ル・メリディアンの部屋から出ずにプレステを楽しんでいました・・・[2005年6月]

ロベルト・カルロスとロナウドが付けたニックネームは”コスミーニョ”。痩せすぎのため・・・[2005年7月]国連親善大使就任の申し出を受け入れました。[2005年9月]トレス・カントスで開催のサッカー教室に参加。[2006年2月]

 
ロビーニョはサントスの東部に位置する人口30万人の下町、サン・ビセンテの9月21日通り30番地に生まれました。(5人家族で30平米の一間。両親は小さなベッド、ロビーニョはソファーで寝ていました。4歳の時からボールを蹴って遊んでいました。当時を知る人は、ロビーニョがボールを蹴ってない姿を見るのが難しかったほどでした。毎日夕方になると、8人の少年が自宅まで呼びに来ました。試合は既に始まっていました。

しばしば夜まで続いたゲームを楽しむためにはボールとスペース以外は必要ありませんでした。靴などは必要なし。ロビーニョは自宅近くの砂浜で裸足のままプレイ。今ではエピソードになってます。自宅までの道程で建物を相手に壁パスし続けることも・・・痩せこけた少年は2つの理由で地元で人目を引いていました。第一に、家族が経済的にとても困窮していたこと。第二に、ロビーニョが十分な食事を取っていなかったこと。

子供の頃、ハムとチーズのサンドイッチだけ食べていたことも・・・いつも母親にねだってましたが、何も食べずにボールを蹴ることも・・・1991年から1994年までレオポルド・サン・ビセンテ学校に通ってましたが、サッカーに夢中で優等生ではありませんでした。「彼は本よりもボールが気に入ってたようだ・・・」と先生方はコメント。

マリア・テレザ・ロザ・マチャド校長は、「私は勉強しないとダメってよく言ったものでしたが、良い子になって私を見てました。それで、ボールを持って中庭に飛び出していったものでした・・・サッカーはそれは上手いものだった。学校の大会で優勝したりして。クラスでは真っ先に外に出れるように入口の近くに座ってました。サントスでプレイし始めた時、練習に間に合うように早めに出たいと言ってきました。母親と話して欲しいと言ってね、母親は許可していたのですけど。ロビーニョにとってサッカーがすべてでしたね。」とコメント。

サン・ビセンテのクラブ・ベイラ・マルでボールを蹴るようになった後、8歳の時、ポルトゥアリオスに加入。(ポルトゥアリオスは、学費や移動費を支給、また、両親には食料を提供していました。陽気な少年で冗談や悪戯も・・・勉強は嫌いでした・・・)10歳の時にサントス入りしました。(引越しのためのお金がなく、両親が近所で借りてロビーニョはサッカーを続けることができました。)

”プロフェッサー”・イジルド・ペレイラ(父親がガリシア人、母親がブラジル人)が12歳から14歳まで指導。最初のシーズンはフットサルのグランドでプレイ。ロビーニョは信じられない才能を持っていました。とても痩せていましたが、誰もロビーニョからボールを奪うことはできませんでした。(ディフェンダーが陰を作って囲みましたがボールを奪われることなく豪快なゴールを決めていました・・・)

2年目、最後のシーズン、11人制のサッカー場でプレイ。12歳になって、ロビーニョは、このグランドでプレイするようになりました。(ペレイラ氏によりますと、この頃はメディオセントロでした。)

2002年
2002年にサントスと2008年までの契約を交わしました。2002年9月5日のブラジルリーグ第8節のビトリア戦に出場してリーグ初ゴールを記録。コリンチャンスとのプレイオフ決勝戦(12月8日、12月15日)に出場。第2戦で先制ゴールを記録。サントスは5対2(2試合合計)でコリンチャンスを下してブラジルリーグで初優勝を達成。リベルタドーレスカップの出場権を獲得。ロビーニョは29試合に出場、9得点を挙げて若手の注目選手に。

2003年
サンパウロ選手権で6試合(0得点)に出場。ボカジュニアーズとのリベルタドーレスカップ決勝戦(6月25日、7月2日)に出場。サントスは1対5(2試合合計)でボカジュニアーズに敗れました。ロビーニョは14試合に出場して3得点を記録。7月12日から27日までメキシコで開催のCONCACAFゴールドカップでリカルド・ゴメス・レイムンド監督によりブラジル代表に招集。

7月13日のメキシコ戦に出場してブラジル代表でデビュー。ブラジルは決勝戦でメキシコに0対1で敗れました。11番を付けたロビーニョは5試合(0得点)に出場。サントスはブラジルリーグで2位に入りリベルタドーレスカップの出場権を獲得。ロビーニョは32試合に出場して9得点を記録。12月15日の「貧困との対決」チャリティ・マッチでロナウド&フレンズチームでプレイ。

2004年
2004年1月7日から25日までチリで開催のオリンピック南米予選でU23ブラジル代表に招集。ブラジルは3位に入りました。11番を付けたロビーニョは8試合に出場して3得点を記録。サンパウロ選手権で10試合に出場して7得点を記録。オンセ・カルダスとのリベルタドーレスカップ準々決勝(5月19日、5月27日)に出場。サントスは1対2(2試合合計)でオンセ・カルダスに敗れました。ロビーニョは8試合に出場して4得点を記録。

2004年9月5日のワールドカップ南米予選のボリビア戦に出場。10月、冬の移籍マーケットでベンフィカ入りの噂が・・・11月5日にレアルマドリードが移籍交渉を開始。(ロビーニョは2008年までサントスと契約有。年俸はブラジルで最高年俸の一人で150万ユーロ。所有権はサントスが60%、本人が30%、代理人のリベイロ氏が10%保有。)

サウスアメリカンカップ準々決勝(11月3日、11月10日)でリーガ・デポルティーバ・ウニベルシタリアに3対5で敗れました。ロビーニョは2試合(0得点)に出場。12月19日のリーグ最終節、サントスは2対1でバスコダガマを下してアトレティコ・パラナエンセに勝ち点差3を付けてブラジルリーグで2年ぶりの優勝を達成。(5月に就任したルシェンブルゴ監督はリーグを連覇)サントスはリベルタドーレスカップの出場権を獲得。

ロビーニョは37試合に出場、21得点を挙げて優勝に貢献しました。12月26日、サッカー選手や芸能人を交えたチャリティ・マッチに出場(レアルマドリードからロベルト・カルロスだけがプレイ)、ハットトリックを決めて存在感をアピールしていました。

2005年−2006年
2005年1月、プラカール誌がロビーニョを2004年最優秀選手に選びました。(ルシェンブルゴ監督が最優秀監督賞を受賞。)2月13日のサンパウロ選手権でコリンチャンス入りしたテベスと対決。2ゴールを挙げたロビーニョに軍配が上がりました・・・ワールドカップ南米予選のペルー戦(3月27日)とウルグアイ戦(3月30日)に出場。リベルタドーレスカップ2次リーグの4試合で4得点を挙げて、”ロビーショー”と呼ばれてました・・・

サントスはサンパウロ選手権で3位に入りました。ロビーニョは14試合に出場して11得点を記録。6月1日のパラナエンセとのリベルタドーレスカップ準々決勝第1戦に出場。サントスは2対5(2試合合計)でパラナエンセに敗れました。ロビーニョは9試合に出場して6得点を記録。6月5日のワールドカップ南米予選のパラグアイ戦に出場、1ゴールを記録。

6月8日のワールドカップ年米予選のアルゼンチン戦に出場。アディダスが広告契約に動いてる模様・・・(ナイキと2006年まで年間96,000ユーロの契約有)6月15日から29日までドイツで開催のコンフェデレーションズカップでブラジル代表に招集。ブラジルは決勝戦でアルゼンチンを4対1で下して優勝。7番を付けたロビーニョは5試合に出場、2得点3アシストの活躍で優勝に貢献しました。

7月21日、ロビーニョのサントスとの契約違約金の60%(2,400万ユーロ)をブラジルサッカー連盟へ支払うことでレアルマドリードへの移籍が確実になりました。(40%はロビーニョが所有していますが放棄。)


7月29日、レアルマドリードが、ロビーニョ移籍でサントスと正式に合意。契約期間は5年間、移籍金は2,450万ユーロ。(サントスで試合に出場する必要があり8月25日にチームに合流)8月11日のブラジルリーグ第19節のブラジレンセ戦で先制ゴールを記録。8月17日のクロアチアとの親善試合に出場。8月21日のブラジルリーグ第21節のフィゲレンセ戦で2ゴールを記録、チームの勝利(2対1)に貢献。

8月26日、メディカル・チェックにパス、サンティアゴ・ベルナベウで入団発表。背番号は10番に・・・8月27日、全体練習に初参加。カディスとの1部リーグ開幕戦に招集。8月28日のカディスとの1部リーグ開幕戦の65分にグラベセンに代わり出場、スペインリーグでデビュー・・・9月4日のワールドカップ南米予選のチリ戦に出場。1ゴール、2アシストの活躍でチームの勝利(5対0)に貢献。

9月6日のセビリアのクラブ創立100周年記念試合(ブラジル代表)に出場。9月10日の1部リーグ第2節のセルタ戦に先発出場、ベルナベウでデビュー・・・9月13日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第1節のオリンピック・リヨン戦に先発出場、チャンピオンズリーグでデビュー・・・9月22日の1部リーグ第4節のアスレチック戦で値千金の同点ゴール。スペインリーグで初ゴールを記録・・・

ワールドカップ南米予選のボリビア戦(10月9日)とベネズエラ戦(10月12日)に出場。2005年FIFAワールドプレイヤーにノミネート。バロンドールにノミネート。10月29日の1部リーグ第9節のベティス戦で先制ゴールを記録、連敗を止める勝利に貢献。11月12日のUAEとの親善試合に出場。12月11日の1部リーグ第15節のマラガ戦で1ゴールを記録。ロペス・カロ監督のリーグ・デビュー戦の勝利に貢献。

2006年1月12日のアスレチックとのコパデルレイ決勝トーナメント1回戦第2戦でドブレーテを達成。チームは準々決勝へ進出。1月21日の1部リーグ第20節のカディス戦でダメ押しゴールを記録。誕生日の1月25日、ベティスとのコパデルレイ準々決勝第2戦で決勝ゴールを記録。チームは準決勝へ進出。1月29日の1部リーグ第21節のセルタ戦で先制ゴールを記録。3試合連続ゴールで勝利に貢献。

2月11日の1部リーグ第23節のアスレチック戦で1ゴール(先制)1アシストを記録、チームの5連勝に貢献。2月14日のサラゴサとのコパデルレイ準決勝第2戦で1ゴールを記録。レアルマドリードは5対6(2試合合計)で準決勝で敗退。ロビーニョは6試合すべての出場してチーム最多の4得点を記録。2月18日の1部リーグ第24節のアラベス戦で1ゴールを記録、リーグ6連勝に貢献。

3月1日のロシアとの親善試合でブラジル代表に招集。5月4日の1部リーグ第36節のラシン・サンタンデール戦で1ゴールを記録。1年目のシーズン、リーグで37試合に出場して8得点を記録。2,641分間のプレイはチームで4番目。8得点はチームで3番目。5月15日、ワールドカップ・ドイツ大会のブラジル代表メンバー入り。6月4日のニュージーランドとの親善試合に出場。

6月13日のワールドカップ・グループリーグ第1戦のクロアチア戦に出場。6月18日のオーストラリア戦に出場。ブラジルは2連勝で決勝トーナメントへ進出。6月22日の日本戦に出場。7月1日の準々決勝のフランス戦に出場。ブラジルは0対1で敗れて大会2連覇ならず。

2006年−2007年
2006年7月27日からのイルドニング合宿に参加。8月7日からの米国遠征に参加。8月12日のレアルソルトレイク戦で1ゴールを記録。8月16日のノルウェーとの親善試合に出場。9月2日のアルゼンチンとの親善試合に出場。9月5日のウェールズとの親善試合に出場。10月7日のクウェートとの親善試合で1ゴールを記録。10月10日のエクアドルとの親善試合に出場。

10月17日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節のステアウア・ブカレスト戦でシーズン初ゴールを記録。10月28日の1部リーグ第8節のヒムナスティック戦で1ゴールを記録。11月15日のスイスとの親善試合に出場。2007年1月18日のベティスとのコパデルレイ決勝トーナメント2回戦第2戦で先制ゴールを記録。2月6日のポルトガルとの親善試合に招集。

3月18日の1部リーグ第27節のヒムナスティック戦で先制ゴールを記録。3月24日のチリとの親善試合に出場。3月27日のガーナとの親善試合に出場。4月1日の1部リーグ第28節のセルタ戦で決勝ゴールを記録。4月8日の1部リーグ第29節のオサスナ戦で1ゴールを記録。5月6日の1部リーグ第33節のセビーリャ戦で決勝ゴールを記録。退場処分のおまけ付。

イングランド(6月1日)とトルコ(6月5日)との親善試合でブラジル代表に招集。5月19日の1部リーグ第35節のレクレアティーボ戦で先制ゴールを記録。チームは首位をキープ。6月1日のイングランドとの親善試合に出場。6月5日のトルコとの親善試合に出場。6月17日の1部リーグ第38節のマリョルカ戦を制してリーグ優勝。6月26日から7月15日まで開催のコパアメリカ・ベネズエラ大会に招集。

6月27日のグループリーグ第1戦のメキシコ戦に出場。7月1日の第2戦のチリ戦でハットトリックを記録。7月4日の第3戦のエクアドル戦で決勝ゴールを記録。7月7日の準々決勝のチリ戦で2得点を記録。7月11日の準決勝のウルグアイ戦に出場。7月15日のアルゼンチンとの決勝戦に出場。ブラジルは3対0でアルゼンチンを下して優勝。ロビーニョは6得点で大会得点王と最優秀選手に輝きました。

2007年−2008年
2007年7月30日、イルドニング合宿を終えたチームに合流。8月8日のテレサ・エレーラ杯準決勝のオス・ベレネンセス戦で決勝ゴールを記録。10月14日のワールドカップ南米予選のコロンビア戦に出場。10月24日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節のオリンピアコス戦でドブレーテを達成。10月28日の1部リーグ第9節のデポルティーボ戦で1ゴールを記録。

11月11日の1部リーグ第12節のマリョルカ戦でドブレーテを達成。11月28日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第5節のベルダー・ブレーメン戦で1ゴールを記録。12月11日のチャンピオンズリーグ第6節のラツィオ戦で1ゴールを記録。決勝トーナメント進出に貢献。2008年1月6日の1部リーグ第18節のサラゴサ戦で1ゴールを記録。3月1日の1部リーグ第26節のレクレアティーボ戦でドブレーテを達成。

3月26日のスウェーデンとの親善試合に出場。5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ2連覇を達成。6月、クリスティアーノ・ロナウドの獲得交渉に加わる可能性が浮上。8月7日から23日まで開催の北京オリンピックに招集。(恥骨の怪我のためレアルマドリードは招集しないようブラジルサッカー連盟へ要請。)

2008年−2009年
2008年7月21日からのイルドニング合宿に参加。8月12日のアイントラハト・フランクフルトとの親善試合で同点ゴールを記録。

Gallery of Robson de Souza, "Robinho"
9月21日通り30番地、ロビーニョの生まれ育った街 サントス入りしたロビーニョ少年 プラカールの表紙を飾ったロビーニョ
ロビーニョ ロビーニョ チームメートから歓迎の胴上げをされるロビーニョ
基本情報
ポジション フォワード
ナンバー
生年月日 1984年1月25日
出身地 サン・ビセンテ(ブラジル)
国籍 ブラジル
身長 172センチ
体重 62キロ
スポンサー
契約 2005年7月29日−2010年6月30日
移籍金 2,450万ユーロ
違約金 1億5千万ユーロ
年俸 300万ユーロ
1部リーグデビュー 2005年8月28日 カディス対レアルマドリード
代表デビュー 2003年7月13日 メキシコ対ブラジル
代表最新出場試合 2008年3月26日 ブラジル対スウェーデン
代表出場試合数 45試合(11得点)
経歴
シーズン チーム リーグ カップ UEFA大会
出場試合 得点 出場試合 得点 大会種別 出場試合 得点
2002年 サントス(ブラジル) 29 9 - - -
2003年 サントス(ブラジル) 32 9 - - -
2004年 サントス(ブラジル) 37 21 - - -
2005年 サントス(ブラジル) 5 3 - - -
2005年−2006年 レアルマドリード 37 8 6 4 C1 8 0
2006年−2007年 レアルマドリード 31 6 4 1 C1 7 1
2007年−2008年 レアルマドリード 32 11 2 0 C1 6 4
2008年−2009年 レアルマドリード C1
タイトル
ブラジル
リーグ 2002年 2004年
スペイン
リーグ 2006年−2007年 2007年−2008年
南米
コパアメリカ 2007年
インターナショナル
コンフェデレーションズカップ 2005年
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