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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| パチン/Enrique Perez Diaz "Pachin" |
| ベサヤからレアルマドリードへ |
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パチンの名前でサッカー界で有名なエンリケ・ペレス・ディアスは、1938年12月28日にトーレラベガ(カンタブリア)で生まれました。
地元のベサヤでサッカーのキャリアをスタート。(チーム名はトーレラベガを流れる川の名前に由来)16歳になって直ぐ、スニアセへ移りました。(同名の電機メーカーのチーム)ここから兄のパコと共に3部リーグのトーレラベガへステップアップしました。(兄の試合での名前もパチン)
エンリケも、”もう一人のパチン”としてプレイしましたが、「パチンってのはどこから来たの?」と訊かれて、「リバデオ生まれの祖父、フランシスコのあだ名だった。そこではパチンと呼ばれてた。カンタブリアへやって来た時、パチンに変わった。だから、家族の男性全員がパチンなんだ。」と答えていました。
パチンは、トーレラベガでサバーリャ(後にオサスナで活躍)と知り合いましたが、オサスナでプレイする前、9ヶ月間、ブルゴスに所属しました。1957年−1958年のシーズン、パチンはブルゴスからオサスナへ移りました。 |
パチンは、1958年11月2日のベティス戦で1部リーグでのデビュー。23試合に出場して1得点を記録。1959年−1960年のシーズン、パチンは、自信の大きな夢を実現してレアルマドリードに加入。
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| 5連覇チームと”イェーイェース”でプレイ |
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パチンは、ヘント、プスカスやディ・ステファノと言った選手とロッカールームを共有することになりました。未だ、21歳でしたが、レアルマドリード史上最高のチームのメンバーを形成することになりました。
1959年8月29日、パチンは、カディスで行なわれたカランサ杯のミラン戦でレアルマドリードでデビュー。1960年4月21日、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれたバルセロナとのチャンピオンクラブズカップ準決勝第1戦でレアルマドリードの公式戦でデビューを果たしました。
5月18日、パチンは、グラスゴーのハンプデン・パークで行なわれたアイントラハト・フランクフルトとのチャンピオンクラブズカップ決勝戦に出場。5連覇達成に貢献。
1960年9月、ペニャロールとの第1回インターコンチネンタルカップに出場。タイトル獲得に貢献。レアルマドリードでのリーグ・デビューは、1960年9月11日のアトレティコ・マドリード戦でした。このシーズン、パチンは、リーグで25試合に出場して3年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。 |
1964年−1965年のシーズン、リーグ5連覇に貢献。1965年−1966年のシーズン、”イェーイェース”のチームでプレイして自身2度目のチャンピオンクラブズカップ優勝を達成しました。
ディフェンスから中盤と言う後方の5つのポジションを完璧にこなす器用な選手でした。中盤ではソコ、ビダルやサラガとラインを形成、ディフェンスではカサード、ミチェ、アティエンサ、レスメス兄弟、サンチス父などとラインを形成。パチンは、当時、スペイン国内、ヨーロッパ内で無敵のチームの不動のメンバーでした。
パチンは、1968年までレアルマドリードでプレイしてベティスへ移りました。レアルマドリードでの9年間、リーグで148試合、国王杯で35試合、チャンピオンクラブズカップで32試合に出場。リーグ優勝7回、総統杯優勝1回、チャンピオンクラブズカップ優勝2回、インターコンチネンタルカップ優勝1回を達成しました。1969年、パチンは、ベティスで現役生活にピリオドを打ちました。
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| ワールドカップ・チリ大会に出場 |
パチンは、1960年5月15日にマドリードで行なわれたイングランドとの親善試合でスペイン代表でデビュー。1962年のワールドカップ・チリ大会でスペイン代表チーム入りしました。スペインはグループリーグで敗退。パチンは2試合に出場しました。1963年5月30日にビルバオで行なわれた欧州選手権予選の北アイルランド戦がスペイン代表での最後の試合になりました。スペイン代表で通算8試合(0得点)に出場しました。
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| 指導者、レアルマドリードOBチームの監督 |
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パチンは、現役引退後、指導者としての道を歩みました。1973年−1974年のシーズン、レアルマドリードのフベニールCの監督に就任しました。
その後、ペガソ、ヘタフェ、オサスナ(パチンの友人で取締役のソコからの誘い。3部リーグから2部リーグへ昇格。)、セウタ、バリャドリード(1点差でコパデルレイ準決勝で敗退)、レバンテ、コルドバ、アルバセテとグラナダの監督を歴任しました。
その後、マドリードへ戻りレアルマドリードへ復帰。入団テストの責任者に就任。また、レアルマドリードのペーニャ部門とも連携してクラブを代表してイベントに出席しています。 |
パチンは、レアルマドリードOB連盟の役員、OBチームの監督も務めています。
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1938年12月28日 |
| 出身地 |
トーレラベガ/カンタブリア |
| 国籍 |
スペイン |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
ディフェンダー(センターバック) |
| レアルマドリード在籍 |
1959年7月1日−1968年5月27日 |
| 1部リーグデビュー |
1958年11月2日 オサスナ対ベティス |
| 代表デビュー |
1960年5月15日 スペイン対イングランド |
| 代表最終出場試合 |
1963年5月30日 スペイン対北アイルランド |
| 代表出場試合数 |
8試合(0得点) |
| 監督 |
| 契約 |
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| 1部リーグデビュー |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 0000年−0000年 |
トーレラベガ/? |
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- |
- |
- |
| 0000年−0000年 |
ブルゴス/? |
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- |
- |
- |
| 1958年−1959年 |
オサスナ |
23 |
1 |
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- |
- |
- |
| 1959年−1960年 |
レアルマドリード |
0 |
0 |
0 |
0 |
C1 |
3 |
0 |
| 1960年−1961年 |
レアルマドリード |
25 |
0 |
8 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
| 1961年−1962年 |
レアルマドリード |
26 |
1 |
6 |
0 |
C1 |
1 |
0 |
| 1962年−1963年 |
レアルマドリード |
28 |
1 |
7 |
0 |
C1 |
7 |
0 |
| 1963年−1964年 |
レアルマドリード |
22 |
0 |
4 |
0 |
C1 |
7 |
0 |
| 1964年−1965年 |
レアルマドリード |
25 |
0 |
3 |
0 |
C1 |
5 |
0 |
| 1965年−1966年 |
レアルマドリード |
8 |
0 |
6 |
0 |
C1 |
5 |
0 |
| 1966年−1967年 |
レアルマドリード |
13 |
0 |
0 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
| 1967年−1968年 |
レアルマドリード |
1 |
0 |
1 |
0 |
C1 |
0 |
0 |
| 1968年−1969年 |
ベティス/2部リーグ |
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- |
- |
- |
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| タイトル(選手) |
| スペイン |
| リーグ |
1960年−1961年 1961年−1962年 1962年−1963年
1963年−1964年 1964年−1965年 1966年−1967年
1967年−1968年 |
| コパデルレイ |
1961年−1962年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1959年−1960年 1965年−1966年 |
| インターナショナル |
| ヨーロッパ/サウスアメリカカップ |
1960年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1973年−1974年 |
レアルマドリード・フベニールC |
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| 0000年−0000年 |
ペガソ |
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| 0000年−0000年 |
ヘタフェ |
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| 0000年−0000年 |
オサスナ |
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| 0000年−0000年 |
セウタ |
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| 0000年−0000年 |
バリャドリード |
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| 0000年−0000年 |
レバンテ |
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| 0000年−0000年 |
コルドバ |
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| 0000年−0000年 |
アルバセテ |
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| 0000年−0000年 |
グラナダ |
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