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| 2010年3月6日 |
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| レアルマドリード対セビーリャ、過去10年間17試合で70得点! |
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レアルマドリードとセビーリャは、点の取り合いになる見応えある試合を行っています。リーグでの過去10年間、17試合で70得点を記録。1試合平均4.1得点になります。2001年−2002年のシーズン(前年はセビーリャは2部リーグ)以降、スコアレスドローは一度もありません。どちらか一方が得点を挙げなかったのは1試合のみ。2004年−2005年のシーズン、セビーリャがベルナベウでレアルマドリードを1対0で下しました。
17試合の成績は、レアルマドリードの9勝1分7敗。主役はなんと言ってもジダンでしょう。8得点を記録。(セビーリャは一番の”お得意様”)一方、セビーリャでは4得点を挙げているカヌーテ。21世紀に入って、レアルマドリード対セビーリャは最も見応えのある対戦カードになっています。1990年代では、バルセロナ対アトレティコ・マドリード(81得点)、1980年代では、レアルマドリード対バルセロナとバルセロナ対ベティス(70得点)。
1970年代では、レアルマドリード対ラス・パルマス(63得点)、1960年代では、サラゴサ対エルチェ(72得点)、1950年代では、レアルマドリード対エスパニョール(101得点)、1940年代では、アトレティコ・マドリード対エスパニョール(106得点)、1928年から1940年までは、アスレチック対バルセロナ(101得点)。
【レアルマドリード対セビーリャの名勝負】
2003年11月9日、レイエスがレアルマドリードを翻弄
セビーリャは、若手実力者、レイエスの活躍でレアルマドリードを4対1で圧倒。弱冠二十歳のレイエスがケイロス監督に高い代償を支払わせました。同監督はパボンをサイドバックに配置、ルベンに責任を負わせました。ルベンは26分に交代。同選手は悔し涙を流していました。
2004年3月28日、ロナウドのリベンジ
リーグ前半戦、ピスフアンでレアルマドリードを4対1で下したセビーリャがベルナベウに乗り込んできました。しかしながら、レアルマドリードは5対1でセビーリャを一蹴。主役はロナウドでした。”エル・フェノメノ”は2ゴールを記録。更にアシストも決めました。
2006年1月15日、グティのヒールパス
ロペス・カロ監督が指揮したレアルマドリードは、ジダンとグティの活躍でセビーリャに快勝(4対2)。ジダンはハットトリックを達成しましたが、誰もが注目したのはジダンの2点目を生んだグティのヒールパスでした。
2007年5月6日、自信の逆転勝利
カペッロ監督率いるレアルマドリードは、リーグでの自らのスタイルを貫いて3対2でセビーリャを下しました。マレスカのゴールでセビーリャが先制しましたが、ロビーニョとファン・ニステルローイ(2得点)のゴールで逆転。
2008年12月7日、シュスター監督は辞任へ
ヒメネス監督が指揮したセビーリャは、ベルナベウでレアルマドリードを4対3で下しました。レアルマドリードは反撃を試みましたが84分にレナトが決勝ゴール。シュスター監督は辞任しました。
2009年4月26日、ラウルのハットトリック
”カピタン”・ラウルが最後に決めたハットトリックでレアルマドリードが4対2でセビーリャを下しました。10試合の出場停止処分を下されたペペが不在の最初の試合。ラウルが精神的支柱としてチームをけん引。レアルマドリードはリーグ優勝に踏み止まりました。 |
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