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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| ムーニョス/Miguel Munoz Monzun |
| 初代欧州チャンピオンのレアルマドリードのキャプテン |
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ミゲル・ムーニョス・モンスンは、1922年1月19日にマドリードで生まれました。ラシン・サンタンデール、セルタでプロ選手として活躍した後、1948年−1949年のシーズンにレアルマドリードへ加入しました。(この年、パイーニョ、マルセット、オルメド、モンタルボやナバーロが加入)
9月12日のサバデル戦でレアルマドリードでのリーグ戦でデビュー。リーグで22試合に出場して5得点を記録。レアルマドリードはリーグでは3位に終わりました。レアルマドリードは変革期を迎えて、徐々に、スペインサッカー界での牽引役となり始めていました。
ムーニョスが初めてリーグ優勝を果たしたのは、ディ・ステファノが加入した1953年−1954年のシーズン。フェルナンデス監督は、タイプが全く異なる両選手を当初より併用。ムーニョスの冷静さとディ・ステファノの反骨精神を融合して21年ぶりのリーグ優勝をもたらしました。翌シーズン、リーグ30試合(2得点)全てに出場。リーグ2連覇を達成。 |
1956年、ムーニョスは、世界的なサッカー選手としてその名を歴史に刻みました。6月13日、パリのパルク・デ・プランスでキャプテンとしてチャンピオンクラブズカップのトロフィーを受け取った初めての選手となりました。
ムーニョス、ディ・ステファノ、リアルやマルキートスなどを擁したレアルマドリードは、スタッド・ランスを4対3で下して黄金期の扉を開けました。初代欧州チャンピオンに輝いたメンバーは、フアニート・アロンソ:アティエンサ、マルキートス、レスメス:ムーニョス、サラガ:ホセイート、マルサル、ディ・ステファノ、リアル、ヘント。
以降、レアルマドリードは、国際的な地位を揺るぎないものにしました。ムーニョスは、1957年−1958年のシーズンまでレアルマドリードでプレイ。更に、チャンピオンクラブズカップ優勝2回、リーグ優勝2回を達成。
徐々に、チームには新戦力が加入して結果を残すようになりました。ムーニョスは、チームで新たな役割を担うことを決断。チャンピオンクラブズカップ3連覇を達成した後、現役引退の時が訪れたと見られましたが、ムーニョス自身は未だその時ではないと考えていました。やがてその時を迎えましたが・・・
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| 9回のリーグ優勝を達成したレアルマドリードの監督 |
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現役引退後、ベルナベウ会長は、トップチームの監督を任せる前にプルス・ウルトラの監督にムーニョスを起用。プルス・ウルトラは、新たな時代へ向けて組織作りを行なっていました。苦労があるもののやりがいのある役割を果たしました。
昨日までチームメートであった選手をベースに新チームを形成。若手選手はパスを要求するようになり、ムーニョス監督は、フアニート・アロンソ、ドミンゲス、マルキートスやサンタマリアのことを思い出す必要がありました。
ムーニョスのサッカー人生で最も辛い瞬間がやって来ました。1964年、最良の友人であり最も称賛していたチームメートに引導を渡す必要がありました。
ミゲルは、人格面でもサッカー選手としての資質の面でもディ・ステファノを最も称賛していた人物であることを常々明かしていました。この決定を前にして、ムーニョス監督は、役員会に対して監督を辞任すると主張して反対しました。 |
ベルナベウ会長はこれを受け入れませんでした。1964年5月27日、レアルマドリードは、チャンピオンクラブズカップ決勝戦でインテルに1対3で敗れました。週末の5月31日、総統杯準決勝でアトレティコ・マドリードと対戦する必要がありました。ムーニョス監督は、敢然と、しかしながら、目に涙を浮かべながらこの試合の15名の招集選手メンバーを作成。ディ・ステファノはリストから外れました・・・
リーグのタイトルは、難なく獲得しましたが、レアルマドリードの歴史は、将来に向けたチーム作りを求めていました。その目標は、6度目のチャンピオンクラブズカップ優勝を達成すること。徐々に、若いチームが形作られて行き、ピーリ、アマンシオ、サンチス、ソコやベラスケスと言った選手が名前を轟かせるようになり始めました。
1966年5月11日、”イェーイェース”・レアルマドリードは、チャンピオンクラブズカップ決勝戦でパルチザン・ベオグラードを2対1で下しました。パコ・ヘントがトロフィーを観衆に披露した時、ムーニョス監督は一瞬目を閉じて、パリで初めてトロフィーを掲げた自身の姿をヘントに重ねていました。
レアルマドリードのトロフィー展示館には数々のトロフィーが並んでいます。ムーニョス監督が偉大な記録を樹立。1973年−1974年のシーズンに監督を辞任するまでの栄光に満ちた14年間・・・リーグ優勝9回、総統杯優勝2回、チャンピオンクラブズカップ優勝2回、インターコンチネンタルカップ優勝1回を達成。
1973年−1974年のシーズン、レアルマドリードは、UEFAカップでイプスウィッチ・タウンに敗北、リーグでは8位に終わりました。モロウニイと交代する瞬間になりました。レアルマドリードの転換期であり、スペイン代表監督に就任すると言う新たなステップの始まりの瞬間でした。ムーニョスは、グラナダ、セビリアとラスパルマスの監督を歴任。1978年−1979年のシーズン、ラスパルマスはリーグで6位に入りました。
自国開催のワールドカップでの失敗により、スペインサッカー連盟(RFEF)のパブロ・ポルタ会長は、サンタマリア監督を更迭してムーニョスに機会を与えました。ムーニョスは、1982年から1988年の欧州選手権西ドイツ大会まで代表監督を務めました。監督在任中、1984年の欧州選手権フランス大会で準優勝、1986年のワールドカップ・メキシコ大会でベスト8入りと言う結果を残しました。
1990年7月16日、ムーニョスは、出血性食道静脈瘤によりマドリードで亡くなりました。享年68歳。2006年3月2日、チャンピオンクラブズカップ(現チャンピオンズリーグ)50周年を記念してUEFA(欧州サッカー連盟)より栄誉を称えて記念盾が贈られました。
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1922年1月19日−1990年7月16日 |
| 出身地 |
マドリード |
| 国籍 |
スペイン |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
ミッドフィールダー |
| レアルマドリード在籍 |
1948年7月1日−1958年6月30日 |
| 1部リーグデビュー |
1946年10月20日 ムルシア対セルタ |
| 代表デビュー |
1948年6月20日 スイス対スペイン |
| 代表最終出場試合 |
1955年3月17日 スペイン対フランス |
| 代表出場試合数 |
7試合(0得点) |
| 監督 |
| 契約 |
1958年−1974年 |
| 1部リーグデビュー |
1959年2月22日 アトレティコ・マドリード対レアルマドリード |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 0000年−0000年 |
ログロニェス |
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- |
- |
- |
| 0000年−0000年 |
ラシン・サンタンデール |
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- |
- |
- |
| 1946年−1947年 |
セルタ |
17 |
1 |
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|
- |
- |
- |
| 1947年−1948年 |
セルタ |
19 |
0 |
|
|
- |
- |
- |
| 1948年−1949年 |
レアルマドリード |
22 |
5 |
3 |
0 |
- |
- |
- |
| 1949年−1950年 |
レアルマドリード |
24 |
4 |
6 |
0 |
- |
- |
- |
| 1950年−1951年 |
レアルマドリード |
28 |
9 |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1951年−1952年 |
レアルマドリード |
30 |
1 |
6 |
0 |
- |
- |
- |
| 1952年−1953年 |
レアルマドリード |
24 |
2 |
6 |
0 |
- |
- |
- |
| 1953年−1954年 |
レアルマドリード |
27 |
0 |
6 |
0 |
- |
- |
- |
| 1954年−1955年 |
レアルマドリード |
30 |
2 |
1 |
0 |
- |
- |
- |
| 1955年−1956年 |
レアルマドリード |
22 |
0 |
4 |
0 |
C1 |
7 |
1 |
| 1956年−1957年 |
レアルマドリード |
12 |
0 |
1 |
0 |
C1 |
6 |
0 |
| 1957年−1958年 |
レアルマドリード |
4 |
0 |
0 |
0 |
C1 |
2 |
0 |
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| タイトル(選手) |
| スペイン |
| リーグ |
1953年−1954年 1954年−1955年 1956年−1957年
1957年−1958年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1955年−1956年 1956年−1957年 1957年−1958年 |
| ラテンカップ |
1955年 1957年 |
| インターナショナル |
| スモールワールドカップ |
1952年 1956年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1958年−1959年 |
プルス・ウルトラ |
|
|
|
|
| 1958年−1959年 |
レアルマドリード |
7 |
4 |
1 |
2 |
| 1959年−1960年 |
レアルマドリード |
1 |
1 |
0 |
0 |
| 1960年−1961年 |
レアルマドリード |
30 |
24 |
4 |
2 |
| 1961年−1962年 |
レアルマドリード |
30 |
19 |
5 |
6 |
| 1962年−1963年 |
レアルマドリード |
30 |
23 |
3 |
4 |
| 1963年−1964年 |
レアルマドリード |
30 |
22 |
2 |
6 |
| 1964年−1965年 |
レアルマドリード |
30 |
21 |
5 |
4 |
| 1965年−1966年 |
レアルマドリード |
30 |
19 |
5 |
6 |
| 1966年−1967年 |
レアルマドリード |
30 |
19 |
9 |
2 |
| 1967年−1968年 |
レアルマドリード |
30 |
16 |
10 |
4 |
| 1968年−1969年 |
レアルマドリード |
30 |
18 |
11 |
1 |
| 1969年−1969年 |
スペイン代表 |
4 |
2 |
1 |
1 |
| 1969年−1970年 |
レアルマドリード |
30 |
13 |
9 |
8 |
| 1970年−1971年 |
レアルマドリード |
30 |
17 |
7 |
6 |
| 1971年−1972年 |
レアルマドリード |
34 |
19 |
9 |
6 |
| 1972年−1973年 |
レアルマドリード |
34 |
19 |
7 |
8 |
| 1973年−1974年 |
レアルマドリード |
18 |
5 |
8 |
5 |
| 1975年−1976年 |
グラナダ |
34 |
8 |
10 |
16 |
| 1977年−1978年 |
ラスパルマス |
34 |
12 |
11 |
11 |
| 1978年−1979年 |
ラスパルマス |
34 |
14 |
9 |
11 |
| 1979年−1980年 |
セビリア |
34 |
14 |
6 |
14 |
| 1989年−1981年 |
セビリア |
34 |
14 |
9 |
11 |
| 1981年−1982年 |
セビリア |
14 |
4 |
3 |
7 |
| 1982年−1988年 |
スペイン代表 |
59 |
30 |
15 |
14 |
|
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| タイトル(監督) |
| スペイン |
| リーグ |
1960年−1961年 1961年−1962年 1962年−1963年
1963年−1964年 1964年−1965年 1966年−1967年
1967年−1968年 1968年−1969年 1971年−1972年 |
| コパデルレイ |
1961年−1962年 1969年−1970年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1959年−1960年 1965年−1966年 |
| インターナショナル |
| ヨーロッパ/サウスアメリカカップ |
1960年 |
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