|
|
| レアルマドリード歴代会長情報 |
|
|
|
|
| メレンデス/Adolfo Melendez Cadalso |
 |
アドルフォ・メレンデス・カダルソは、1884年6月2日にラ・コルーニャで生まれました。創立時のメンバーであったメレンデスは、1902年から1909年までマドリードFCでプレイしました。メレンデスは出場機会がありませんでしたが、マドリードFCは、1905年からコパデルレイ4連覇を達成しました。
【創立時のメンバー】
アントニオ・ネイラ、ホセ・ヒラルト、アルマンド・ヒラルト、マリオ・ヒラルト、フリアン・パラシオス、ホセ・パラシオス、エウスタキオ・セラダ、アルバロ・スポットルノ、フアン・パドロス、ホセ・デ・ゴロスティサガ、アドルフォ・メレンデス
1907年12月、メレンデスは、カルロス・パドロス会長に代わりマドリードFCの会長に就任。(職業軍人であったメレンデスは、1909年と1911年、モロッコ戦争の際に出征。勲一等マリア・クリスティーナ十字勲章など5回叙勲。) |
【役員会メンバー】
名誉会長:カルロス・パドロス 会長:アドルフォ・メレンデス 副会長:ホセ・アンヘル・ベラオンド 財務担当:マヌエル・プラスト 事務長:フリアン・ルエテ 副事務長:カルロス・アパリシ 役員:カサヌエバ、メネンデス、ブイリャ、チュリーリャ、リバエレラ
会長在任時、1910年、クラブの初代監督として英国人のアーサー・ジョンソンを招聘。1911年、クラブ史上で最も重要な人物、サンティアゴ・ベルナベウをクラブへ加入。(サンティアゴ・ベルナベウは、1912年3月3日、イングリッシュ・スポーツとの親善試合で初出場、初ゴールを記録しました。)
1912年10月31日、オ・ドンネル・サッカー場を完成。職業軍人のメレンデス会長はクラブの執務に専念することができなくなったため、1916年5月20日、ペドロ・パラヘス副会長へ会長職を引き継ぎました。
1939年に2度目の会長職に就いたメレンデスが率いる役員会は、組織の正しい方向への歩みを回復する責任がありました。総会の招集に対するパラヘス元会長(1919年から1926年)の尽力は、レアルマドリードが機能を取り戻すことを可能にして、また、市民戦争の間、”マドリディスモ”の火を灯し続けるためのエルナンデス・コロナードとカルロス・アロンソの働きを無駄にすることはありませんでした。
|
|
アドルフォ・メレンデスは、アフリカ戦線に何回か出征する必要があったため、会長不在時、フェデリコ・レブエルト、アントニオ・ベガ・デ・セオアネ、ホセ・ベラオンド、ペドロ・パラヘスが会長を代行していました。
|
|
|
|
| 基本情報 |
| 生年月日 |
1884年6月2日−0000年00月00日 |
| 出身地 |
ラ・コルーニャ |
| 国籍 |
スペイン |
| 身長 |
|
| 体重 |
|
| 選手 |
| ポジション |
ゴールキーパー |
| マドリードFC在籍 |
1902年−1909年 |
| 会長 |
| 在任 |
1907年12月−1916年5月20日
1939年4月29日−1940年11月26日 |
|
|
| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
失点 |
出場試合 |
失点 |
大会種別 |
出場試合 |
失点 |
| 1902年−1903年 |
マドリードFC |
- |
- |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1903年−1904年 |
マドリードFC |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
| 1904年−1905年 |
マドリードFC |
- |
- |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1905年−1906年 |
マドリードFC |
- |
- |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1906年−1907年 |
マドリードFC |
- |
- |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1907年−1908年 |
マドリードFC |
- |
- |
0 |
0 |
- |
- |
- |
| 1908年−1909年 |
マドリードFC |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
|
|
| タイトル(選手) |
| スペイン |
| コパデルレイ |
1904年−1905年 1905年−1906年 1906年−1907年
1907年−1908年 |
| 地域大会 |
1903年−1904年 1904年−1905年 1905年−1906年
1906年−1907年 1907年−1908年 |
|
|
| タイトル(会長) |
| スペイン |
| 地域大会 |
1912年−1913年 1915年−1916年 |
|
|
 |
|