| グティ/Jose Maria Gutierrez Hernandez, "Guti" |
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元スペイン代表のミッドフィールダー。レアルマドリードの下部組織出身。ラウルに次いで第2キャプテンを務めます。ボールさばき、ゴールへの到達に長けており、下部組織の監督が、常に、そのレベルの高さを評価してきました。守備的メディオセントロからフォワードまでこなせるユーティリティー・プレイヤーです。 |
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| Curiosity |
グティの愛車はポルシェ・ボクスターですがこれを含めて4台保有。1999年6月22日、テレビ司会者のアランチャ・デ・ベニトさんと結婚。サイラちゃんとアイトール君の2児の父親。憧れの選手はマラドーナ。好きな俳優はブラッド・ピットとペネロープ・クルース。ボール12個分でトレホンからレアルマドリードへ加入。[2002年]
メンディエタと自動車保険のテレビCMに出演。[2003年2月]2003年のアジア遠征で東京から香港へ移動する際に誤って航空会社に預ける荷物の中にパスポートを入れてしまいました。パスポートを再発行してチームメートと別に香港へ移動。[2003年8月]
2003年の1部リーグ第5節のバレンシア戦の55分にケイロス監督により交代を命じられました。この日キャプテン・マークをつけていたグティはチームメートが見ている前でピッチに投げつけて物議をかもしました。グティの熱い一面が垣間見られました・・・(ジダンが拾ってロベルト・カルロスに渡しました・・・)[2003年9月]
10月28日に誕生日パーティを開催。グティが驚いたのはお気に入りのロック・グループ、”ペレサ”のコンサートををアランッチャ夫人が計画していたこと。ケタマのアントニオ・カルモナ、その夫人でダンサーのラファエル・アマルゴ、女優のエルサ・パタキーとカルメン・モラレス、テレビ司会者のテレル・カンポスなどそうそうたるメンバーでした。チームメートはサルガドだけがサンス夫人と共に出席していました。[200311月1日]
愛車のミニに背番号14をつけました・・・[2004年10月]いつの間にかミスタードーナッツのCMに出ていました・・・[2005年1月]家族と共にイビサで休暇。[2005年6月]エル・オリバル・デ・ラ・イノホサで開催の第1回コルテフィエル大会(心血管疾患の人の支援が目的)に参加。[2006年5月]
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| 1994年−1995年 |
グティは7歳からサッカーを始めましたが、トレホンでプレイしていた頃、レアルマドリードのスカウトの目に留まりました。当時、チームメートから"シュスター”(元ドイツ代表MF、1980年から1992年までバルセロナ、レアルマドリード、アトレティコ・マドリードでプレイ)と呼ばれていました。
1987年、ライート・デ・トレホンと言うチームからレアルマドリードへ加入。レアルマドリードの下部組織で成長しました。1994年−1995年のシーズン、レアルマドリードC(2部リーグB)へステップアップしました。
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| 1995年−1996年 |
レアルマドリードB(2部リーグ)へステップアップ。1995年7月に開催のU18欧州選手権ギリシャ大会でU18スペイン代表に招集。スペインは決勝戦でイタリアを4対1で下して優勝。前年にラウルをデビューさせたホルヘ・バルダーノ監督は12月2日の1部リーグ第15節のセビリア戦でトップチームに招集。グティは60分にアマビスカに代わり出場して1部リーグでデビュー。
1996年5月12日の1部リーグ第40節のバリャドリード戦の84分にゴールを挙げて1部リーグで初ゴールを記録。1部リーグで9試合(1得点)に出場。レアルマドリードは20勝10分12敗で6位に終わりました。2部リーグBで26試合(11得点)に出場。レアルマドリードBは18勝10分10敗勝ち点64で4位に入りました。
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| 1996年−1997年 |
ファビオ・カペッロ監督によりトップチームに定着。1997年6月14日の1部リーグ第41節のアトレティコ・マドリード戦で勝利を挙げてリーグ優勝を達成。
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| 1997年−1998年 |
1997年8月に行われたバルセロナとのスペルコパに出場。レアルマドリードは5対3(2試合合計)でバルセロナを下してタイトル制覇。1997年12月10日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第6節のポルト戦の61分にラウルに代わり出場してチャンピオンズリーグでデビュー。
1998年5月20日のチャンピオンズリーグ決勝でユベントスを1対0で下してタイトル制覇。チャンピオンズリーグで2試合(0得点)に出場。5月に開催のU21欧州選手権ルーマニア大会でU21スペイン代表に招集。5月31日に行われた決勝戦でギリシャを1対0で下して優勝。
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| 1998年−1999年 |
1998年12月1日のバスコダガマとのヨーロッパ/サウスアメリカカップで招集されましたが出場機会はありませんでした。レアルマドリードは2対1でバスコダガマを下してタイトル制覇。1999年5月5日のクロアチアとの親善試合でスペイン代表でデビュー。6月22日にテレビ司会者のアランチャ・デ・ベニトさんと結婚。
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| 1999年−2000年 |
2000年1月5日から14日に開催のクラブ世界選手権ブラジル大会に出場。レアルマドリードは3位決定戦でネカクサにPK戦の末に敗れて4位に終わりました。5月24日のバレンシアとのチャンピオンズリーグ決勝に出場。レアルマドリードは3対0でバレンシアを下してタイトル制覇。チャンピオンズリーグで9試合(1得点)に出場してタイトル獲得に貢献。
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| 2000年−2001年 |
2000年7月のプレシーズンのニヨン合宿に参加。8月26日のガラタサライとのスーパーカップに出場。レアルマドリードは1対2で敗れました。11月28日のボカジュニアーズとのヨーロッパ/サウスアメリカカップに出場。レアルマドリードは1対2で敗れました。2001年5月26日の1部リーグ第36節のアラベス戦で勝利を挙げてリーグ優勝を達成。1部リーグで14得点(31試合)を挙げて”9番”としての存在感をアピール。
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| 2001年−2002年 |
2001年7月23日からのプレシーズンのニヨン合宿に参加。8月のサラゴサとのスペルコパに出場。レアルマドリードは4対1(2試合合計)でサラゴサを下してタイトル制覇。クラブ創立100周年記念日の2002年3月6日にサンティアゴ・ベルナベウで行なわれたデポルティーボとのコパデルレイ決勝戦に出場。レアルマドリードは1対2でデポルティーボに敗れました。コパデルレイで6得点(7試合)を挙げて準優勝に貢献。
4月10日、”天敵”バイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦の85分にチーム2点目となるゴールを挙げました。レアルマドリードは3対2(2試合合計)でバイエルン・ミュンヘンを下して準決勝進出を決めました。グティのゴールがなければアウェイルール・ゴールで準々決勝で敗退するところでした・・・
5月15日のバイヤー・レバークーゼンとのチャンピオンズリーグ決勝戦で招集。ビセンテ・デル・ボスケ監督は、"グティ・モリエンテス論争”の末、最終的にモリエンテスを先発起用することを決断。グティは出場機会はありませんでした・・・レアルマドリードは2対1でバイヤー・レバークーゼンを下してタイトル制覇。チャンピオンズリーグで9試合(3得点)に出場してタイトル獲得に貢献。
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| 2002年−2003年 |
2002年7月16日からのプレシーズンのイルドニング合宿に参加。8月30日のフェイエノールトとのスーパーカップに出場。レアルマドリードは3対1でフェイエノールトを下してタイトル制覇。グティは1ゴールを挙げてタイトル獲得に貢献。10月、欧州選手権予選でイニャキ・サエス監督によりスペイン代表に招集。グティは2年ぶりにスペイン代表に復帰。10月12日に行われた欧州選手権予選の北アイルランド戦の59分にゴールを挙げてスペイン代表で初ゴールを記録。
12月3日のオリンピアとのヨーロッパ/サウスアメリカカップの82分にロナウドに代わり出場。レアルマドリードは2対0でオリンピアを下してタイトル制覇。交代出場した直後の84分にチーム2点目のゴールを挙げてタイトル獲得に貢献。2003年6月22日の1部リーグ第38節のアスレチック戦で勝利を挙げてリーグ優勝を達成。
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| 2003年−2004年 |
2003年7月26日からのプレシーズンのアジア遠征に参加。8月のマリョルカとのスペルコパに出場。レアルマドリードは4対2(2試合合計)でマリョルカを下してタイトル制覇。11月2日に2008年まで契約更改。(年俸200万ユーロ)11月のノルウェーとの欧州選手権プレイオフでスペイン代表に復帰。
11月9日の1部リーグ第11節のセビリア戦に先発出場して1部リーグ通算200試合出場を達成。11月19日のノルウェーとの欧州選手権プレイオフ第2戦に出場。スペインはノルウェーを5対1(2試合合計)で下して欧州選手権ポルトガル大会の出場権を獲得。12月、ひざの負傷により1ヶ月間の戦線離脱。
2004年1月7日のエイバルとのコパデルレイ3回戦第1戦にキャプテンマークをつけて先発出場して先制ゴールを記録。(試合は1対1の引き分け)3月17日のサラゴサとのコパデルレイ決勝戦に出場。レアルマドリードは延長戦の末に2対3で敗れました。自身のファウルからPKを与えて逆転を許してしまい、その後、退場処分に・・・3月31日のデンマークとの親善試合に出場。
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| 2004年−2005年 |
2004年7月7日にラスロサスでプレシーズンを開始。7月16日からのモンテカスティーリョ合宿に参加。日本遠征のメンバーに入りました。11月17日のイングランドとの親善試合でスペイン代表に復帰。冬の移籍マーケットでデンマーク代表MFのグラベセンが加入したため控えに回ることが多くなりました・・・
2005年2月9日のワールドカップ欧州予選のサンマリノ戦の後半から出場、1ゴールを挙げてチームの勝利に貢献。4月30日の1部リーグ第34節のレアルソシエダード戦の59分から出場、ロナウドのドブレーテをアシストしてリーグ優勝争いに留まる勝利に貢献。6月、リバプールとユベントスが獲得競争に参加・・・
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| 2005年−2006年 |
2005年7月8日、ラスロサスでプレシーズンを開始。7月14日からのワールドツアーに参加。7月16日のチバス・グアダラハラ戦に出場、逆転ゴールを挙げてチームの勝利(3対1)に貢献。7月23日の北京国安戦に出場、同点のゴールを挙げました。チームは3対2で逆転勝ち。8月3日からのイルドニング合宿に参加。左足の筋肉を傷めたためカディスとのリーグ開幕戦に欠場。
9月7日のラヨバリェカーノとの練習試合に出場、怪我は完治して大活躍・・・9月10日の1部リーグ第2節のセルタ戦で怪我のラウルに代わり先発出場。9月25日の1部リーグ第5節のアラベス戦でダメ押しゴールを記録、前節のアスレチック戦に続いて好調さをアピール。11月1日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第4節のローゼンボリ戦で1ゴールを記録。チームは2対0で勝利、グループステージを突破。
11月3日、セニョリオ・デ・アルコセルで開催のキャプテン会食会に出席。11月23日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第5節のオリンピック・リヨン戦で先制ゴールを挙げましたがチームは1対1で引き分け。12月12日の代表合宿に招集。2006年1月15日の1部リーグ第19節のセビリア戦で1ゴール2アシストの活躍でチームの勝利に貢献。1月21日の1部リーグ第20節のカディス戦で右くるぶしを捻挫して戦線離脱・・・
1月29日の1部リーグ第21節のセルタ戦から復帰。2月4日の1部リーグ第22節のエスパニョール戦で先制ゴールを記録。チームの7連勝に貢献。2月11日の1部リーグ第23節のアスレチック戦で右四頭筋の打撲傷。2月18日の1部リーグ第24節のアラベス戦で先制ゴール。リーグ6連勝に貢献。3月1日のコートジボワールとの親善試合でスペイン代表に復帰。(左四頭筋のハリが完治せず初日に離団)
4月8日の1部リーグ第32節のレアルソシエダード戦の86分に退場。久々にキレました・・・リーグで33試合(4得点)に出場してシーズンを終了。
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| 2006年−2007年 |
2006年7月12日、バルデベバスでプレシーズンを開始。7月17日からのイルドニング合宿に参加。8月3日のレッジーナとの練習試合で右手人差し指を骨折・・・(開幕戦に照準を合わす)8月7日からの米国遠征に不参加。8月27日の1部リーグ開幕戦のビリャレアル戦に招集。間に合いました・・・11月20日、2010年まで契約更改。2007年3月10日の1部リーグ第26節のバルセロナ戦に出場。リーグ通算300試合出場を達成。
4月29日の1部リーグ第32節のアスレチック戦で1ゴールを記録。6月17日の1部リーグ第38節のマリョルカ戦を制してリーグ優勝。6月19日のパレスチナ・イスラエル連合チームとの親善試合で4得点を記録。
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| 2007年−2008年 |
2007年7月21日、バルデベバスでプレシーズンを開始。7月22日からのイルドニング合宿に参加。8月3日のロシア鉄道杯準決勝のロコモティフ・モスクワ戦でドブレーテを記録。9月2日の1部リーグ第2節のビリャレアル戦で1ゴールを記録。2008年1月2日のアリカンテとのコパデルレイ決勝トーナメント1回戦第2戦で決勝ゴール。2月10日の1部リーグ第23節のバリャドリード戦で2ゴール3アシストの活躍。5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ2連覇を達成。
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| 2008年−2009年 |
2008年7月21日からのイルドニング合宿に参加。
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