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ガルシア・レモン/Mariano Garcia Remon
下部組織とレンタル移籍
マリアノ・ガルシア・レモンは、1950年9月30日にマドリードのアルグエリェス地区で生まれました。父親は、地域リーグのサッカー選手。マリアノ少年が影響を受けたのは間違いありませんでした。ラヨバリェカーノの下部組織でサッカーを本格的に開始。フベニールのキーパーで注目される存在になりました。

1966年、スペインサッカー界で最も権威ある監督の一人、ドン・ペドロ・エギルスが、ガルシア・レモン(身長はキーパーとしては決して高くありませんでしたが、堅実な守備)をレアルマドリードのシウダード・デポルティーバのスクールに連れて行きました。(レアルマドリードでの長い人生の始まりでした・・・)

レアルマドリードのコーチ陣は、直ぐにも、キーパーとしての生まれながらの才能に注目するようになりました。ガルシア・レモンは、レアルマドリードのすべての組織(フベニール、3部と2部)をステップアップ。遂に、トップチームにまで到達。

フベニール時代に欧州大会で優勝。1970年、友人のビセンテ・デル・ボスケと共にアフィシオナードスの国内大会を制しました。

しかしながら、通常、トップチーム内には3人のキーパーがいたため、ガルシア・レモンが試合に出場することが大きく阻まれました。キーパー枠は、ベタンコルト、アラキスタイン、ボルハ、ミゲル・アンヘル、フンケラで埋まっており、ガルシア・レモンは、3部リーグのタラベラと2部リーグのオビエドへレンタル移籍することになりました。

実践での経験を積んでいったガルシア・レモンは、1971年、ミゲル・ムーニョス監督によりレアルマドリード復帰が実現。1971年、バダホスで行なわれたイベリコ杯でレアルマドリードでデビュー。9月5日のベティス戦で1部リーグでのデビューを果たしました。(レアルマドリードが2対0で勝利)

”エル・ガト・デ・オデッサ”
トップチームでの1年目のシーズン、ガルシア・レモンは29試合に出場、レアルマドリードは3年ぶりにリーグ優勝を達成しました。

ガルシア・レモンにとっての大舞台が、1973年3月7日にやって来ました。オデッサでのチャンピオンクラブズカップ準々決勝のディナモ・キエフ戦。ガルシア・レモンは、この試合で大活躍。

アス紙の論評でフリオ・セサル・イグレシアスが、”エル・ガト・デ・オデッサ”と命名しました。レアルマドリード在籍中、重い怪我や1974年2月17日に行なわれたバルセロナ戦での0対5と言った試合など厳しい時を過ごしたこともありました。

1974年−1975年のシーズン、ミルハニッチ監督が就任してガルシア・レモンは控えに回ることになりました。(ミゲル・アンヘルが正キーパー)レアルマドリードはリーグと総統杯の二冠を達成。

1979年−1980年のシーズン、ボスコフ監督が就任してガルシア・レモンは先発メンバーに復帰。19試合に出場してリーグ2連覇に貢献。翌シーズン、33試合に出場してリーグ3連覇、コパデルレイとの二冠を達成。

1983年−1984年のシーズンを最後にガルシア・レモンは現役生活にピリオドを打ちました。リーグで177試合(160失点)、コパデルレイで25試合(26失点)に出場。リーグ優勝6回、コパデルレイ優勝4回を達成。

しかしながら、アグスティンの負傷のため、ルイス・デ・カルロス会長が現役続行を要請。1984年−1985年と1985年−1986年のシーズン、第3キーパーとしてチームに所属しましたが、試合に出場することはありませんでした。(この間、レアルマドリードは、リーグ優勝1回、UEFAカップ優勝2回を達成)

スペイン代表で2試合に出場
ガルシア・レモンは、1973年5月2日にアムステルダムで行なわれたオランダとの親善試合でスペイン代表でデビュー。(スペインは2対3で惜敗)1973年10月17日にイスタンブールで行なわれたトルコとの親善試合がスペイン代表での最後の試合になりました。(0対0の引き分け)また、伝説のポルトガル代表選手、エウゼビオの栄誉を称えて行なわれた試合でFIFA選抜チームでプレイしました。

レアルマドリードの第2コーチ、監督
1986年、ガルシア・レモンは、選手生活に別れを告げました。ホセ・アントニオ・カマチョと共に資格を取得。1987年−1988年と1988年−1989年のシーズン、レアルマドリード・フベニールを指揮。1989年−1990年のシーズン、レアルマドリードU19を指揮して優勝しました。

1990年7月、レアルマドリードBの監督に就任。1990年−1991年のシーズン、2部リーグBで優勝。僅か1シーズンで2部リーグ復帰を達成。

ガルシア・レモン監督は、1993年までレアルマドリードBを指揮。2部リーグ1年目のシーズンは16位、2年目のシーズンは6位にまで躍進。エスナイデル、アルフォンソ、ダニ、サンタマリアやビクトルと言った選手を育成。

1993年−1994年のシーズン、スポルティング・ヒホンの監督に就任。9月5日のバリャドリード戦で1部リーグで初采配を振るいました。(1対0で勝利)11月28日、ベニト・フローロ監督のレアルマドリードに2対1で逆転勝利。1年目のシーズン、コパデルレイはベスト16、リーグは14位で終了。

1995年3月5日、リーグ第24節でレアルマドリードに0対4で完敗。(スポルティング・ヒホンはリーグで18位に低迷)3月8日、エル・モリノンで行なわれたラヨバリェカーノとのコパデルレイ準々決勝第1戦で1対1の引き分け。このため、3月9日、ガルシア・レモン監督は辞任することになりました。

1996年1月25日、ガルシア・レモンは、アルセニオ・イグレシアス監督の第2コーチに就任してレアルマドリードへ復帰。1年間の契約更改のオファーがありましたが、監督としての道を歩むため断りました。

1996年−1997年のシーズン、ガルシア・レモンは、2部リーグのアルバセテの監督に就任。その後、ラスパルマス、サラマンカ、ヌマンシアとコルドバの監督を歴任しました。(ヌマンシア以外は2部リーグ)

2004年5月25日、カルロス・ケイロス監督がレアルマドリードの監督を辞任、ホセ・アントニオ・カマチョが監督に就任。ガルシア・レモンは監督補佐に指名されました。2004年9月20日、カマチョ監督の辞任により監督に昇格。(同じ日に初孫のマリナちゃんが誕生・・・)


【ガルシア・レモン監督のコーチ陣】
ガルシア・エルナンデス第2コーチ
レアルマドリードの”プロトタイプ”と言える人物。カンテラからトップチームへステップアップ。1981年5月27日、パリで行なわれたチャンピオンクラブズカップ決勝戦でリバプールに敗れた時のメンバー。現役引退後はクラブに留まりコーチとして歩みましたがスカウトに転進。ガルシア・レモン監督が第2コーチ就任を要請。

フェルナンド・ガスパール・フィジカルコーチ
1969年4月9日、マドリード生まれ。1993年−1994年のシーズン、3ヶ月間、レアルマドリード・インファンティルBの監督を務めました。その後、フィジカルコーチとして1994年から1998年までラヨバリェカーノ、1998年から2003年までヌマンシアで指導。2003年、カマチョがベンフィカの監督に就任した際に行動を共にしました。2004年5月、カマチョがレアルマドリードの監督に就任すると共にフィジカルコーチに就任。残留。

マヌエル・アミエイロGKコーチ
1953年10月23日生まれ。1992年−1994年、レアルマドリード・インファンティルのGKコーチ、1993年−1994年、アレビンBとフベニールBの監督、1994年−1995年、インファンティルのGKコーチ、1995年−1997年、アレビンAのコーチ、1997年−1999年、インファンティルのGKコーチ、1999年−2001年、トップチームのGKコーチ。ガルシア・レモン監督がGKコーチ復帰を要請。


2004年9月21日、ガルシア・レモン監督は、リーグ第4節のオサスナ戦からチームを指揮しました。(レアルマドリードは1対0で勝利)暫定的に監督を引き受けたガルシア・レモン監督は、2004年12月30日、元ブラジル代表監督でサントスの監督、バンデルレイ・ルシェンブルゴに引き継ぎました。(レアルマドリードの監督としての成績は7勝2分4敗、8位で引き継ぎ3位で終了)

基本情報
生年月日 1950年9月30日
出身地 マドリード
国籍 スペイン
身長
体重
選手
ポジション ゴールキーパー
レアルマドリード在籍 1971年−1986年
1部リーグデビュー 1971年9月5日 レアルマドリード対ベティス
代表デビュー 1973年5月2日 オランダ対スペイン
代表最終出場試合 1973年10月17日 トルコ対スペイン
代表出場試合数 2試合(1失点)
監督
契約 2004年9月20日−2004年12月30日
1部リーグデビュー 1993年9月5日 バリャドリード対スポルティング・ヒホン
選手経歴
シーズン チーム リーグ カップ UEFA大会
出場試合 失点 出場試合 失点 大会種別 出場試合 失点
ラヨバリェカーノ・フベニール - - - - -
1966年−1967年 レアルマドリード下部組織 - - - - -
1967年−1968年 タラベラ/3部リーグ - - -
1968年−1969年 タラベラ/3部リーグ - - -
1969年−1970年 タラベラ/3部リーグ - - -
1970年−1971年 オビエド/2部リーグ - - -
1971年−1972年 レアルマドリード 29 6 C3 4
1972年−1973年 レアルマドリード 27 2 C1 6
1973年−1974年 レアルマドリード 15 0 C3 2
1974年−1975年 レアルマドリード 3 1 C2 0
1975年−1976年 レアルマドリード 3 1 C1 0
1976年−1977年 レアルマドリード 1 0 C3 0
1977年−1978年 レアルマドリード 8 0 - - -
1978年−1979年 レアルマドリード 19 10 C1 1
1979年−1980年 レアルマドリード 33 3 C1 8
1980年−1981年 レアルマドリード 31 0 C1 5
1981年−1982年 レアルマドリード 0 1 C3 0
1982年−1983年 レアルマドリード 5 1 C2 2
1983年−1984年 レアルマドリード 3 1 C3 1
1984年−1985年 レアルマドリード 0 0 C3 0
1985年−1986年 レアルマドリード 0 0 C3 0
タイトル(選手)
スペイン
リーグ 1971年−1972年 1974年−1975年 1975年−1976年
1977年−1978年 1978年−1979年 1979年−1980年
1985年−1986年
コパデルレイ 1973年−1974年 1974年−1975年 1979年−1980年
1981年−1982年
コパデラリガ 1984年−1985年
ヨーロッパ
UEFAカップ 1984年−1985年 1985年−1986年
監督経歴
シーズン チーム リーグ
試合 引分
1987年−1988年 レアルマドリード・フベニール
1988年−1989年 レアルマドリード・フベニール
1989年−1990年 レアルマドリードU19
1990年−1991年 レアルマドリードB/2部リーグB 38 20 13 5
1991年−1992年 レアルマドリードB/2部リーグ 38 11 12 15
1992年−1993年 レアルマドリードB/2部リーグ 38 15 12 11
1993年−1994年 スポルティング・ヒホン 38 15 5 18
1994年−1995年 スポルティング・ヒホン 24 5 8 11
1995年−1996年 レアルマドリード ※第2コーチ
1996年−1997年 アルバセテ/2部リーグ
1997年−1998年 ラスパルマス/2部リーグ
1999年−2000年 サラマンカ/2部リーグ
2000年−2001年 ヌマンシア 21 4 6 11
2002年−2003年 コルドバ/2部リーグ
2004年−2005年 レアルマドリード ※監督補佐 3 2 0 1
2004年−2005年 レアルマドリード 14 8 2 4
2007年−2008年 カディス/2部リーグ
タイトル(監督)
スペイン
2部リーグB 1990年−1991年
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