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ガゴ/"El Pintita" Fernando Gago
アルゼンチン代表のミッドフィールダー(メディオセントロ)。レドンド・タイプの”5番”。プレイをオーガナイズする能力に加えて得点力も備えています。右利き。ずば抜けたフィジカルがあるわけではありません。2006年12月21日、ボカジュニアーズからレアルマドリードへ移籍。EU域内選手。
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ガゴは、ブエノスアイレス郊外、中流階級の人が住むシウダデラ地区で生まれました。幼少期からのニックネームは、”ピンティータ”。(休まず走ることから監督が命名)憧れの選手はフェルナンド・レドンド。サアベドラのサッカー場でよく真似をしていました。ペケルマン監督からアルゼンチン代表の練習に招集されたことがあります。イタリア国籍取得の手続き中。(リグリア地方出身の家系)[2006年11月]

幼少期を過ごしたシウダデラの実家の部屋には未だにレドンドのポスターが貼ってあります。ガゴとレドンドには多くの共通点があります。”クチュ"・カンビアッソやディエゴ・マルキッチと同様、レドンドとガゴはクルブ・パルケ出身。ポジションも同じメディオセントロ。背番号もアルゼンチン・サッカーでは伝統の同じ5番。

レドンドが出場した1994年ワールドカップ米国大会でアルゼンチン代表を率いたアルフィオ・バシレ監督がガゴをボカジュニアーズの先発メンバーに定着させました。[2006年12月]

ガゴは、若者のファンが多く、アルゼンチン国内ではサングラスから髭剃りまでCMに出演。プレイステーションが大好き。(いつもレアルマドリードでプレイ。ロナウドがお気に入り。)彼女のミカエラとはディスコで知り合いました。(今後、スペインで一緒に新生活。)ガゴの最大の評価者はマラドーナ。[2006年12月]

ガゴが初めてレドンドのプレイを見たのは同選手がテネリフェに所属していた時。ガゴが、ブエノスアイレスの西、シウダデラに住んでいた頃でした。当時、ガゴは、ベビー・フットボールをプレイ。(モケット上での5対5のサッカー)1991年、母親のアリシアがクルブ・サアベドラへ加入させました。

その後、ガゴは、クルブ・パルケへ移りました。(マラドーナ、レドンド、ソリン、リケルメ、プラセンテやカンビアッソなどアルゼンチン・サッカー界では伝統的なステップ)ボール捌きを学び、ホルヘ・グリファやラモン・マドーニが、ガゴの将来性を買っていました。[2006年12月]

2005年9月、塗装工場で働いていた父親のエクトルが脳血管障害で昏睡状態に陥りました。3週間後、ボカ・ジュニアーズ対ラシン・クルブ戦の後、ガゴは、父親の死を知らされました。父親の闘病中、ガゴが練習を休むことは一度もありませんでした。[2006年12月]

2003年−2004年
2003年8月13日から8月30日までフィンランドで開催のU17世界選手権に出場。準決勝でスペインに敗れたもののコロンビアを下して3位に入りました。”19番”を付けたガゴは5試合に出場。(2点ビハインドのスペインがフラドとセスクのゴールで逆転勝ち)

2004年−2005年
2004年12月5日のキルメス戦でホルヘ・”チーノ”・ベニテス監督によって起用されて1部リーグでデビュー・・・2005年6月10日から7月2日までオランダで開催の世界ユース選手権に出場。準々決勝ではスペインを撃破。(レアルマドリードBが2部リーグ昇格争いをしていたため、レアルマドリードからフアンフランがだけが出場)。”17番”を付けたガゴは全7試合に出場して優勝に貢献。6月、アトレティコ・マドリードが獲得競争で一歩リード。(トニ・ムーニョスGMが照会)

2005年−2006年
2005年8月31日、オンセ・カルダスを下してレコパ・スダアメリカーナで優勝。12月18日、プーマスUNAMを下してコパ・スダアメリカーナで優勝。先発メンバーに定着してリーグで34試合に出場。

2006年−2007年
2006年9月14日、サンパウロを下してレコパ・スダアメリカーナで優勝。10月1日のベレス・サルスフィエルド戦で1部リーグ初ゴールを記録・・・10月8日のリバープレートとのスペルクラシコで期待されましたがチームは1対3で黒星。(イグアインが2得点)11月、レアルマドリード、チェルシーやミランなどが獲得に関心・・・12月13日、エストゥディアンテスとの優勝決定戦に出場。チームは1対2で敗れてリーグ3連覇はなりませんでした。

12月21日、ボカジュニアーズからレアルマドリードへ移籍。移籍金は1,800万ユーロ、契約は6年半で2013年6月30日まで。EU域内旅券を申請。12月22日、メディカル・チェックと入団発表。2007年1月6日、背番号は16番に決定。1月7日の1部リーグ第17節のデポルティーボ戦でスペインリーグでデビュー・・・2月7日のフランスとの親善試合に出場。アルゼンチン代表でデビュー・・・6月2日のスイスとの親善試合に出場。

6月5日のアルジェリアとの親善試合に出場。6月17日の1部リーグ第38節のマリョルカ戦を制してリーグ優勝。6月26日から7月15日まで開催のコパアメリカ・ベネズエラ大会に招集。6月28日のグループ予選第1戦の米国戦に出場。7月6日の第3戦のパラグアイ戦に出場。アルゼンチンはグループC首位で準々決勝へ進出。7月8日の準々決勝のペルー戦に出場。7月11日の準決勝のメキシコ戦に出場。

2007年−2008年
2007年7月30日、イルドニング合宿を終えたチームに合流。8月22日のノルウェーとの親善試合でアルゼンチン代表に招集。8月31日、8番で選手登録。10月13日のワールドカップ南米予選のチリ戦に出場。2008年5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ2連覇を達成。

2008年−2009年
レアルマドリードに所属。2008年8月に開催の北京オリンピックでアルゼンチン代表に招集。8月23日、決勝戦でナイジェリアを下して金メダルを獲得。ガゴは全6試合(0得点)に出場。ワールドカップ予選のパラグアイ戦(9月6日)とペルー戦(9月10日)に招集。8月24日、バレンシアを下してスペルコパで優勝。8月25日、バルデベバスで練習を再開。8月27日のサンティアゴ・ベルナベウ杯のスポルティング・リスボン戦に出場。

9月17日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第1節のBATEボリソフ戦で左太もも二頭筋を裂傷。4週間の戦線離脱!

Gallery of Fernando Gago
2005年世界ユース選手権を制したガゴ ボカジュニアーズのガゴ ガゴ
ガゴ ガゴ ガゴ
基本情報
ポジション ミッドフィールダー(メディオセントロ)
ナンバー
生年月日 1986年4月10日
出身地 シウダデラ/ブエノスアイレス(アルゼンチン)
国籍 アルゼンチン/イタリア
身長 178センチ
体重 69キロ
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契約 2006年12月21日−2013年6月30日
移籍金 1,800万ユーロ
違約金
年俸
1部リーグデビュー 2007年1月7日 デポルティーボ対レアルマドリード
代表デビュー 2007年2月7日 フランス対アルゼンチン
代表最新出場試合 2007年10月13日 アルゼンチン対チリ
代表出場試合数 8試合(0得点)
経歴
シーズン チーム リーグ カップ UEFA大会
出場試合 得点 出場試合 得点 大会種別 出場試合 得点
2004年−2005年 ボカジュニアーズ(アルゼンチン) 15 0 - - -
2005年−2006年 ボカジュニアーズ(アルゼンチン) 34 0 - - -
2006年−2007年 ボカジュニアーズ(アルゼンチン) 19 1 - - -
2006年−2007年 レアルマドリード 13 0 2 0 C1 2 0
2007年−2008年 レアルマドリード 31 0 4 0 C1 6 0
2008年−2009年 レアルマドリード C1
タイトル
アルゼンチン
リーグ 2005年前期 2006年後期
スペイン
リーグ 2006年−2007年 2007年−2008年
スペルコパ 2008年
南米
コパ・スダアメリカーナ 2005年
レコパ・スダアメリカーナ 2005年 2006年
インターナショナル
世界ユース選手権 2005年
オリンピック 2008年
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