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| レアルマドリード歴代監督情報 |
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| フェルナンデス/Enrique Fernandez Viola |
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エンリケ・フェルナンデスは、1912年6月10日にモンテビデオ(ウルグアイ)のハシント・ベラ地区に生まれました。ナシオナルのキャプテン、リカルド・ファッシオがクラブに加入させて17歳でトップチームでデビュー。
中盤右サイドでプレイ。クリエイティブ、大胆さを持つ選手で卓越したドリブラーでした。多くの場合、プレイの起点となり、”ビシクレータ”で有名。(ウルグアイ・サッカーの黄金期、間違いなくスーパー・クラックでした)
デビューして僅か後の1931年、プロ化したアルゼンチンに魅力を感じてインデペンディエンテでロベルト・ポルタと共にプレイ。(当時、ウルグアイはアマチュア)
ウルグアイもプロ化されて、1933年にエンリケ・フェルナンデスはナシオナルへ復帰しました。有名な”マキナ・ブランカ”の一員として実力を発揮。1933年と1934年にウルグアイリーグで優勝を達成しました。 |
1935年春、スペインへ渡りバルセロナへ加入。1936年、モンテビデオで休暇中にスペインで市民戦争が勃発。スペインへ戻ることはありませんでした。バルセロナはナシオナルでのプレイを許可。3ヵ月後、右膝半月盤を負傷して24歳で現役生活にピリオド。ナシオナルで111試合に出場して51得点を記録。
その後、指導者としての歩みを始めました。1946年、ナシオナルの監督に就任。リーグ優勝を達成。再びスペインへ渡りバルセロナの監督に就任。リーグ優勝2回、ラテンカップ優勝1回を達成。1950年にウルグアイへ帰国。ナシオナルの監督に就任してリーグ優勝を達成。再度スペインへ渡ったエンリケ・フェルナンデスは、”ディ・ステファノ時代”の始まりと言うクラブが歴史を作り上げた時期にレアルマドリードの監督を務めました。
1953年−1954年のシーズン、エンリケ・フェルナンデス監督率いるレアルマドリードは、21年ぶりにリーグ優勝を達成しました。なお、アルフレド・ディ・ステファノは、スペインでの最初のシーズン、27得点を挙げてリーグ得点王を獲得。1954年−1955年のシーズン途中で監督を辞任しました。
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1912年6月10日 |
| 出身地 |
モンテビデオ(ウルグアイ) |
| 国籍 |
ウルグアイ |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
ミッドフィールダー |
| 1部リーグデビュー |
1935年11月10日 エスパニョール対バルセロナ |
| 代表デビュー |
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| 代表最終出場試合 |
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| 代表出場試合数 |
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| 監督 |
| 契約 |
1953年−1955年 |
| 1部リーグデビュー |
1947年9月21日 バルセロナ対オビエド |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
出場
試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1930年−1931年 |
ナシオナル(ウルグアイ) |
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- |
| 1931年−1933年 |
インデペンディエンテ(アルゼンチン) |
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- |
| 1933年−1935年 |
ナシオナル(ウルグアイ) |
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- |
| 1935年−1936年 |
バルセロナ |
17 |
8 |
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- |
- |
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| タイトル(選手) |
| ウルグアイ |
| リーグ |
1933年 1934年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1946年 |
ナシオナル(ウルグアイ) |
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| 1947年−1948年 |
バルセロナ |
26 |
15 |
7 |
4 |
| 1948年−1949年 |
バルセロナ |
26 |
16 |
5 |
5 |
| 1949年−1950年 |
バルセロナ |
26 |
13 |
3 |
10 |
| 1950年 |
ナシオナル(ウルグアイ) |
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| 1953年−1954年 |
レアルマドリード |
30 |
17 |
6 |
7 |
| 1954年−1955年 |
レアルマドリード |
14 |
10 |
2 |
2 |
| 1959年−1960年 |
ベティス |
10 |
3 |
2 |
5 |
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| タイトル(監督) |
| ウルグアイ |
| リーグ |
1946年 1950年 |
| スペイン |
| リーグ |
1947年−1948年 1948年−1949年 1953年−1954年 |
| ヨーロッパ |
| ラテンカップ |
1949年 |
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