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| ENCYCLOPEDIA OF SPAIN LEAGUE |
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| スペインリーグの概要 |
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1873年2月、英国人企業家のヒュー・マッカイ・マシスンが、リオティント鉱山を手に入れたことにより、このアンダルシアの町は、採掘のための英国人技師、現場監督や労働者でいっぱいになりました。
住民の怒りがありましたが、このアンダルシアの町の方々の通りで、英国人は、間もなく、本国で熱狂的なスポーツであったサッカーで時間を潰すようになりました。この年の守護聖人サン・ロケのお祭りのため、リオティントは、スペイン人対英国人による最初のサッカーの試合を開催することで一役買いました。 |
数年後、1878年、英国人は、同好会を結成しました。ここから、英国人だけで構成するリオティント・フットボール・クラブが出てきました。このチームのユニフォームは、白色のシャツと黒色のパンツを用いた英国代表チームの物と同じでした。更に数年後、ウエルバ・レクリエーション・クラブ(1889年12月23日)が創設されました。現在のレクレアティーボ・デ・ウエルバです。ここに、スペイン人が、サッカーを始めることとなりました。
首都マドリードでは、1897年にフットボール・スカイが結成されました。その中心メンバーだったフリアン・パラシオス、パドロス兄弟、メレンデス、メンディア、バレーラ、ヒラルト兄弟やネイラが、1902年3月6日にマドリード・フットボール・クラブを結成。現在のレアルマドリードです。
また、アトレティコ・マドリードが、1903年4月26日にアスレチック・デ・マドリードとして結成されました。一方、バルセロナでは、ジョアン・ガンペールが1899年11月29日にフットボール・クラブ・バルセロナを結成。また、エスパニョールが、1900年10月28日にソシエダード・エスパニョーラ・デ・フットボールとして結成されました。
スペインリーグ(リーガ・エスパニョーラ)と言うと、通常、1部リーグを指しますが、1部リーグの下に2部リーグ、2部リーグB、3部リーグ、地域リーグなど裾野の広い構造を示しています。また、フベニール、カデテ、インファンティルやアレビンなど幼少期からの育成システムも構築されています。
1部リーグは、レアルマドリード、バルセロナ、バレンシア、デポルティーボなどの強豪チームが所属する世界でも屈指のリーグです。ここ数年のチャンピオンズリーグでのスペイン・チームの成績が証明しているでしょう。
また、レアルマドリードとバルセロナによる”クラシコ”(伝統の一戦)やレアルマドリードとアトレティコ・マドリードによるマドリード・ダービーなど実力と人気を備えたチーム同士の対戦は非常に興味深いものがあります。
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| クラブの創立年 |
| チーム |
本拠地 |
創立 |
現在の所属 |
| レクレアティーボ |
ウエルバ |
1889年 |
2部リーグ |
| アスレチック |
ビルバオ |
1898年 |
1部リーグ |
| パラモス |
パラモス/ヒローナ |
1898年 |
2部リーグB |
| バルセロナ |
バルセロナ |
1899年 |
1部リーグ |
| エスパニョール |
バルセロナ |
1900年 |
1部リーグ |
| レアルマドリード |
マドリード |
1902年 |
1部リーグ |
| UEルビ |
ルビ/バルセロナ |
1902年 |
地域リーグ |
| アトレティコ・マドリード |
マドリード |
1903年 |
1部リーグ |
| サバデル |
サバデル/バルセロナ |
1903年 |
2部リーグB |
| バダホス |
バダホス |
1905年 |
2部リーグB |
| ベアサイン |
ベアサイン/ギプスコア |
1905年 |
3部リーグ |
| セビーリャ |
セビーリャ |
1905年 |
1部リーグ |
| スポルティング |
ヒホン/アストゥリアス |
1905年 |
2部リーグ |
[注]現在の所属リーグは、2003年−2004年のシーズン
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| 1部リーグ |
1928年−1929年のシーズン、レアルマドリード、バルセロナやアスレチックなど10チームが参加して始まりました。正確には、1929年2月10日と12日に第1節の5試合が行われました。
レアルマドリードは、チャマルティン・スタジアムでエウロパ・バルセロナと対戦しました。ラスカーノが4得点を挙げてレアルマドリードが5対0の大勝利を収めて素晴らしいスタートを切りました。
レアルマドリードは、最終節、アスレチックに0対2で敗れてバルセロナが逆転で優勝、初代リーグ・チャンピオンに輝きました。 |
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| 1928年−1929年のシーズンの1部リーグ |
| チーム |
本拠地 |
創立 |
現在の所属 |
| バルセロナ |
バルセロナ |
1899年 |
1部リーグ |
| レアルマドリード |
マドリード |
1902年 |
1部リーグ |
| アスレチック・クラブ |
ビルバオ/ビスカヤ |
1898年 |
1部リーグ |
| レアルソシエダード |
サンセバスチャン/ギプスコア |
1909年 |
1部リーグ |
| アレーナス・デ・ゲチョ |
ゲチョ/ビスカヤ |
1909年 |
3部リーグ |
| アスレチック・マドリード |
マドリード |
1903年 |
1部リーグ |
| エスパニョール |
バルセロナ |
1900年 |
1部リーグ |
| エウロパ |
バルセロナ |
1907年 |
3部リーグ |
| レアル・ウニオン |
イルン/ギプスコア |
1915年 |
2部リーグB |
| ラシン・クラブ |
サンタンデール/カンタブリア |
1913年 |
1部リーグ |
[注]現在の所属リーグは、2003年−2004年のシーズン
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しかしながら、リーグ創設は、容易なことではありませんでした。ビッグクラブは、多数のチームで構成される一つのリーグを望んでいませんでした。このことは、サッカー界の分裂の可能性があった少数派と多数派の間での激しい対立の2年間の原因となりました。FIFA(国際サッカー連盟)のジュール・リメ会長とアルフォンソ13世国王は、この紛争の仲介に入らざるを得ませんでした。
最終的に、1928年11月23日、マドリードで開かれたスペインサッカー連盟(RFEF)の臨時総会で大会創設が承認されました。この時以降、スペインリーグは、10チームから20チームに拡大、世界最高のリーグとなるまで発展。最初の10年間、アスレチックとレアルマドリードが優勢でした。大きな衝撃を与えたのは、1935年にタイトルを獲得したベティス。市民戦争のため、1936年から1939年までリーグは中断に追い込みました。
1940年代、タイトルは、アトレティコ・マドリード、バレンシア、アスレチック、バルセロナとセビーリャの5チームで分け合いました。サッカーは、1950年代、興行へと変化を遂げました。巨大スタジアムの誕生、選手の獲得、外部からの監督の招聘、メディアの発達、大きな国際大会の創設などによって。ダウシックとクバラのコンビによるバルセロナの勢力は、1953年のディ・ステファノの加入で阻止されました。
1963年、外国人選手の加入を禁止にしました。このことは、ヨーロッパの大会で悪い結果をもたらしました。(イタリアやポルトガルのクラブの台頭)レアルマドリードは、1960年代、リーグ優勝8回を遂げて最強のチームとなりました。1973年、外国人選手の加入が再び認められるようになりました。バルセロナは、クライフを獲得して、1974年にリーグ優勝を遂げました。しかしながら、連覇はなりませんでした。
1970年代は6回の優勝を果たしたレアルマドリードが支配。ディ・ステファノは、監督として、1971年にバレンシアでリーグ優勝を果たしました。1980年代、バスクのチーム(レアルソシエダードが2回優勝、アスレチックが2回優勝)の支配で始まり、”キンタ・デル・ブイートレ”のレアルマドリードの支配で終わりました。1990年代はバルセロナの時代。(クライフ監督のドリームチームで4回優勝、ファン・ハール監督で2回優勝)
当時のバルダーノ監督は、テネリフェでレアルマドリードの優勝を阻みました。ボスマン法が、各チームを国際化させました。1995年、勝ち点3の制度がスタート。アトレティコ・マドリードのヒル会長は、コパデルレイとの二冠達成の成功に浸り、デポルティーボは、リーグ優勝を遂げた9番目のチームとなりました。
21世紀、”ガラクティコス”(フロレンティーノ・ペレス会長が獲得したスター選手)が登場、バレンシアとデポルティーボだけが対抗し得るチームとなりました。2002年−2003年のシーズンまで1部リーグに所属したことのあるチーム数は、56チーム(既に消滅したチームも含みます。)になりますが、過去の優勝チームは、レアルマドリード(29回)、バルセロナ(16回)、アスレチック(9回)など僅か9チームのみとなります。
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| 2部リーグ |
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1部リーグと同様、1928年−1929年のシーズン、バレンシア、デポルティーボやセルタなど10チームが参加して始まりました。(1949年−1950年のシーズンから19年間、南北のグループに分かれました。)
2部リーグは、現在、22チームで構成されています。スペインプロサッカーリーグ(LFP)が、管轄しているのは2部リーグまでとなります。1部リーグと同様に全国レベルで試合が行なわれます。
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過去の優勝チームは、ムルシア(7回)、スポルティング・ヒホン(5回)、オビエド(5回)、ベティス(5回)、セビーリャ(4回)、デポルティーボ(4回)、ラスパルマス(4回)など。
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| 1928年−1929年のシーズンの2部リーグA |
| チーム |
本拠地 |
創立 |
現在の所属 |
| セビーリャ |
セビーリャ |
1905年 |
1部リーグ |
| イベリア・スポーツ・クラブ |
サラゴサ |
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[注2] |
| アラベス |
ビトリア/アラバ |
1921年 |
2部リーグ |
| スポルティング |
ヒホン/アストゥリアス |
1905年 |
2部リーグ |
| バレンシア |
バレンシア |
1919年 |
1部リーグ |
| ベティス |
セビーリャ |
1907年 |
1部リーグ |
| オビエド |
オビエド/アストゥリアス |
1926年 |
3部リーグ |
| デポルティーボ |
ラ・コルーニャ |
1906年 |
1部リーグ |
| セルタ |
ビーゴ/ポンテベドラ |
1923年 |
1部リーグ |
| ラシン・クラブ |
マドリード |
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[注3] |
[注1]現在の所属リーグは、2003年−2004年のシーズン
[注2]1932年にサラゴサに吸収
[注3]1930年−1931年のシーズンまで
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| 2部リーグB |
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1部リーグと同様、1928年−1929年のシーズン、オサスナ、サラゴサやムルシアなど10チームが参加して始まりました。
2部リーグBは、現在、グループ1からグループ4まで各20チームで構成されています。2003年−2004年のシーズン、レアルマドリードBは、グループ2に所属。アトレティコ・マドリードB、サラゴサBやブルゴスなどと試合を行っています。 |
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| 1928年−1929年のシーズンの2部リーグB |
| チーム |
本拠地 |
創立 |
現在の所属 |
| クルトゥラル・レオネサ |
レオン |
1923年 |
2部リーグB |
| ムルシア |
ムルシア |
1908年 |
1部リーグ |
| カステリョン |
カステリョン・デ・ラ・プラーナ |
1922年 |
2部リーグB |
| ヒムナスティカ |
トーレラベガ/カンタブリア |
1907年 |
2部リーグB |
| サラゴサ |
サラゴサ |
1932年 |
1部リーグ |
| レアル・ウニオン |
バリャドリード |
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[注2] |
| オサスナ |
パンプローナ/ナバーラ |
1920年 |
1部リーグ |
| トロサ |
トロサ/ギプスコア |
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地域リーグ |
| バラカルド |
バラカルド/ビスカヤ |
1917年 |
2部リーグB |
| カルタヘナ |
カルタヘナ/ムルシア |
1906年 |
2部リーグB |
[注1]現在の所属リーグは、2003年−2004年のシーズン
[注2]1928年にCDエスパニョールと合併してバリャドリードを設立
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| 3部リーグ |
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グループ1からグループ17まで各20チーム(22チームのグループも有)で構成されています。基本的には、各自治州で試合が行なわれます。
2003年−2004年のシーズン、レアルマドリードCは、グループ7に所属。ラヨバリェカーノB、レガネスBやラス・ロサスなどと試合を行っています。なお、3部リーグの下部に自治州毎の地域リーグ、更に、アフィシオナードスと言うリーグがあります。 |
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スペインリーグの特徴として、トップクラブの下部組織のチーム(レアルマドリードの場合、レアルマドリードBやレアルマドリードC)が、下部リーグに所属している点と言えるでしょう。ただし、下部組織のチームは、トップチームと同じリーグに所属することはできません。最も有名なケースとして、1983年−1984年のシーズン、レアルマドリードBが、2部リーグで優勝しましたが、1部リーグへ昇格することはありませんでした。
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| ”レアル”の称号 |
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スペイン王室から”レアル”の称号を授与されてクラブ名に”レアル”を使用、紋章に王冠を配したクラブがあります。(オサスナやビリャなど”レアル”の称号がないものの紋章に王冠を配したクラブもあります。)
【1部リーグ】
レアルマドリード、エスパニョール、サラゴサ、セルタ、デポルティーボ、バリャドリード、ベティス、マリョルカ、ムルシア、ラシン・サンタンデール、レアルソシエダード
【2部リーグ】
スポルティング・ヒホン、レクレアティーボ・ウエルバ |
【2部リーグB】
アビレス、アルカラ、ハエン、ヒムナスティカ、レアル・ウニオン
【3部リーグ】
アビラ、アランフェス、オビエド、ティタニコ、リネンセ
[所属リーグは2003年−2004年のシーズン] |
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| 開催期間と開催日時 |
【開催期間】
公式の開催期間は、7月1日に開始して翌年6月30日に終了。スケジュールは、シーズン終了後、スペインプロサッカーリーグ(LFP)が翌シーズンの日程案を作成、スペインサッカー連盟(RFEF)の承認後、7月に発表。1部リーグの2002年−2003年のシーズンは、2002年9月1日に開始、2003年6月22日に終了。
【開催日時】
試合は、通常、日曜日に開催されますが、テレビの放映権の問題やコパデルレイ、チャンピオンズリーグ、UEFAカップなどの試合が、週の半ばにある場合、土曜日に開催されます。試合開始時刻は、RFEF及びLFPの規則で次のとおり決められています。正式な開始時刻は、試合の数日前に発表されます。
8月から9月:18時から22時の間
10月:18時から19時の間
11月から3月最終週:17時の間
3月最終週から4月:18時から19時の間
5月から6月:18時から22時の間
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| 対戦方法と順位の決定 |
【対戦方法】
ホーム&アウェイ方式(延長戦はありません)で、各チームが、2試合対戦します。1部リーグの場合は20チームあるためホームで19試合とアウェイで19試合の合計38試合が行なわれます。2部リーグの場合は22チームあるためホームとアウェイでそれぞれ21試合で合計42試合が行なわれます。
【順位の決定】
勝ち点制が導入されており、勝利が3点、引き分けが1点、負けが0点です。2チームが同じ勝ち点の場合、@当該チームの直接対決(2試合)の得失点差Aリーグ通算の得失点差Bリーグ通算の得点数で順位を決めます。3チーム以上が同じ勝ち点の場合、@当該チームの対戦の勝ち点合計A当該チームの対戦の得失点差Bリーグ通算の得失点差Cリーグ通算の得点数で順位を決めます。
ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)が、毎年、公表するUEFA係数表により、チャンピオンズリーグやUEFAカップなどの出場枠が確定します。スペインは、ここ数年、1部リーグの1位から4位のチームにチャンピオンズリーグ(3位と4位は予選3回戦から出場)の出場権、5位と6位のチームにUEFAカップの出場権が与えられます。
また、7位と8位のチームにインタートトカップの出場権が与えられています。なお、同大会は、プレシーズン中の7月、8月に開催されるために出場辞退するチームがあり、9位以下のチームが出場する場合もあります。
また、1部リーグ優勝のチームは、コパデルレイ優勝のチーム(同一の場合は準優勝のチーム)と8月にスペルコパを賭けて対戦します。スペルコパはホーム&アウェイ方式で行なわれます。
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| 各リーグの昇格と降格 |
| リーグ |
1位 |
2位 |
3位 |
4位 |
16位 |
17位 |
18位 |
19位 |
20位 |
21位 |
22位 |
| 1部リーグ |
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降格 |
降格 |
降格 |
- |
- |
| 2部リーグ |
昇格 |
昇格 |
昇格 |
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降格 |
降格 |
降格 |
降格 |
| 2部リーグB1−4 |
昇格L |
昇格L |
昇格L |
昇格L |
残留L |
降格 |
降格 |
降格 |
降格 |
- |
- |
| 3部リーグ1−17 |
昇格L |
昇格L |
昇格L |
昇格L |
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(降格) |
降格 |
降格 |
降格 |
- |
- |
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| 選手の登録、移籍、警告 |
【登録人数】
25名まで。EU域内の選手の人数制限はなし。EU域外の選手は3名まで。
【ベンチ入り人数】
18名まで。各試合で交代できる人数は3名まで。また、下部カテゴリーのチームの選手でベンチ入りできる人数は6名まで。同時にプレイできる人数は4名まで。
【ユニフォームと背番号】
ユニフォームは、第1ユニフォーム(ホーム用)と第2ユニフォーム(アウェイ用)があります。第3ユニフォームを保有するチームもあります。
背番号は、固定背番号制が導入されています。1番から25番で登録する必要があります。この数字を超えることが可能なのは、カンテラの選手、シーズン開始後にトップチームへステップアップした選手。8月の移籍マーケットが終了後に登録するプロ契約選手も他の番号を使用することが可能。なお、ゴールキーパーは、基本的には、1番、13番および25番(第3GK)を使用します。
【移籍】
チーム間の移籍にはある程度の制限がなされています。移籍が可能な期間は、7月1日から8月31日まで。シーズン開始後は、1月1日から1月31日まで。ただし、シーズン中に所属するチームで、すべての国内大会で5試合以上に出場した選手は、同一シーズンに同一リーグの他のチームへ移籍することはできません。
【警告】
累積警告5回で次の試合が出場停止となります。また、退場(1試合警告2回による退場を含みます)処分を受けた場合も次の試合が出場停止となります。
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