| カシーリャス/Iker Casillas Fernandez |
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スペイン代表のゴールキーパー。レアルマドリードとスペイン代表の守護神。信じられない反射的な動き、1対1の状況での冷静さ、ポジショニングの良さなど、間違いなくすべての要素を兼ね備えたゴールキーパーと言えるでしょう。
レアルマドリードのすべての下部組織を経験。スビサレタのスペイン代表での通算出場試合数129試合の記録を塗り替えるのは間違いなくカシーリャスでしょう。 |
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| Curiosity |
トップチーム招集は突然訪れました。1997年11月24日、カシーリャスは、カニャベラル・デ・モストレス学校の授業を受けていました。突然、校長が教室に入ってきて、トップチームと共にホテル・アラメーダへ行く必要があると言う知らせの電話がレアルマドリードからあったことを伝えました。トロンヘイムで行なわれるチャンピオンズリーグのローゼンボリ戦で初めてトップチームの遠征に参加。若干16歳でした。
1999年9月12日のアスレチック戦でデビューして以降、カシーリャスは、毎日、トップチームで練習するようになりましたが車の免許がなくモストレスから電車で通ってました。
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モストレスのエル・ソト・総合運動場に同市が人工芝のグランドを建設してイケル・カシーリャス・サッカー場と命名。[2003年9月]マドリード市庁舎でプレゴンを読む大役を務めました。[2003年12月]リーボック社との契約を2008年まで更新。第9回モストレス・スポーツ式典でエリート賞を受賞。[2006年3月]カデナ・セールのエル・ラルゲロの特別番組で人気デュオ、アマラルと共演。美声を披露・・・[2006年5月]
ドイツ日刊紙のディ・ヴェルト紙が行なったワールドカップ出場選手の夫人または恋人のランキングで恋人のエバ・ゴンサレスがトップでした。(エバはセビーリャ出身の25歳。2003年のミス・スペイン)[2006年6月]
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| 1990年−1991年 |
カシーリャス・フェルナンデス家の”長男”は、6歳の時、地元モストレスのコレヒオ・ジョアン・ミロでサッカーを始めました。1990年、9歳の時に父親に連れられて入団テストを受けるためにサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムを訪れました。カシーリャスはレアルマドリードのベンハミンへ加入。最初の監督はセシリオ監督でした。
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| 1991年−1992年 |
レアルマドリード・ベンハミンでプレイ。ベンハミンのヨーロッパ大会に招集。
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| 1992年-1993年 |
レアルマドリード・アレビンBでプレイ。26試合(14失点)に出場してリーグ優勝を達成。
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| 1993年−1994年 |
レアルマドリード・アレビンAでプレイ。26試合に出場して、僅か、8失点でリーグ優勝に貢献。
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| 1994年−1995年 |
レアルマドリード・インファンティルBでプレイ。26試合(16失点)に出場してリーグ優勝を達成。
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| 1995年−1996年 |
レアルマドリード・インファンティルAでプレイ。パリで開催のヨーロッパ大会に招集。1996年3月9日のイングランドとの親善試合でU15スペイン代表でデビュー・・・カデテBでもプレイ。ボリビアで開催のU15世界選手権でU15スペイン代表に招集。レアルマドリード・カデテBで26試合(16失点)に出場してリーグ優勝を達成。
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| 1996年−1997年 |
レアルマドリード・カデテBでプレイ。1997年1月31日から2月9日までポルトガルで開催のメリディアンカップでU17スペイン代表に招集。スペインは決勝戦でナイジェリアに2対3で敗れて準優勝に終わりました。カシーリャスは大会の最優秀選手賞を受賞しました。
4月28日から5月10日までドイツで開催のU16欧州選手権でU16スペイン代表に招集。スペインは決勝戦でオーストリアをPK戦(5対4)の末に下して優勝しました。レアルマドリード・カデテAで26試合(16失点)に出場してリーグ優勝を達成しました。
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| 1997年−1998年 |
レアルマドリード・フベニールCからフベニールAへステップアップ。1997年9月にエジプトで開催のU17世界選手権でセサル・ナバス、コロナやソウサと共にU17スペイン代表に招集。スペインは準決勝でガーナに1対2で敗れましたが3位決定戦でドイツを2対1で下しました。”1番”を付けたカシーリャスは5試合に出場。レベルの高さを示してオールスターチームに選出されました。
11月27日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第5節のローゼンボリ戦でハインケス監督がトップチームに招集。カニサレスが練習中に負傷、イルクナーとビサーリが戦線離脱していたためカシーリャスは初めてトップチームの遠征に参加。フベニールAでリーグ優勝。また、フベニールのスペルコパを制覇。
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| 1998年−1999年 |
レアルマドリードCへステップアップ。毎週木曜日と金曜日はヒディング監督によりトップチームの練習に招集されました。1999年1月28日から2月7日まで南アフリカで開催のメリディアンカップでアガンソと共にU18スペイン代表に招集。スペインは決勝戦でガーナを2対1で下して優勝しました。
1999年4月にナイジェリアで開催の世界ユース選手権でイニャキ・サエス監督によりアガンソと共にU20スペイン代表に招集。U20の選手の中、唯一、17歳で代表入りした”13番”のカシーリャスはアランスビア(アスレチック)が正ゴールキーパーであったため2試合だけ出場、PK戦で決着が付いた準々決勝での活躍が目を引きました。なお、スペインは決勝戦で稲本や高原を擁する日本を4対0で下して初優勝を遂げました。
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| 1999年−2000年 |
レアルマドリードBへステップアップ。1999年8月24日のベルナベウ杯のミラン戦に出場してトップチームでデビュー・・・9月3日のU21欧州選手権予選のオーストリア戦でU21スペインでデビュー・・・9月12日の1部リーグ第3節のアスレチック戦に出場して1部リーグでデビュー・・・"25番”を付けたカシーリャスは18歳でした。9月15日のチャンピオンズリーグ1次リーグ第1節のオリンピアコス戦に出場してUEFA大会でデビュー・・・
2000年1月にブラジルで開催のクラブ世界選手権に出場。レアルマドリードは3位決定戦でネカクサにPK戦の末に敗れて4位に終わりました。5月24日のチャンピオンズリーグ決勝戦ではバレンシアに1点も与えずタイトル獲得に大きく貢献。カシーリャスは1部リーグで27試合、チャンピオンズリーグで12試合に出場してイルクナーやビザーリに代わりレギュラーの座を獲得しました。
6月3日のスウェーデンとの親善試合に出場してスペイン代表でデビュー・・・カシーリャスは19歳でした。なお、最年少記録はスビエタの17歳(1936年)。IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)により2000年最優秀ゴールキーパーにノミネートされました。(47ポイントで5位)
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| 2000年−2001年 |
レアルマドリードのトップチームに定着。2000年8月26日のガラタサライとのスーパーカップに出場。レアルマドリードは1対2で敗れました。11月28日のボカジュニアーズとのヨーロッパ/サウスアメリカカップに出場。レアルマドリードは1対2で敗れました。2001年5月26日の1部リーグ第36節のアラベス戦で勝利を挙げてリーグ優勝を達成。1部リーグで34試合(37失点)に出場。
イタリアのゲリン・スポルティーボ誌が選出する2000年ブラボ賞(23歳以下ヨーロッパ最優秀選手賞)を受賞。6月17日にアルフレド・ディ・ステファノ名誉会長から同賞を受け取りました。(スペイン代表チーム入りしていたカシーリャスはイタリアでの授賞式に参加できなかったため。)
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| 2001年−2002年 |
2001年7月、レアルマドリードとの契約を4年間更新しました。背番号は”25番”から”1番”に。7月23日からのプレシーズンのニヨン合宿に参加。8月のサラゴサとのスペルコパに出場。レアルマドリードは4対1(2試合合計)でサラゴサを下してタイトルを獲得しました。2002年1月27日の1部リーグ第22節のベティス戦でPKをセーブ。レアルマドリードは1対1で引き分け。
シーズン終盤にセサルが先発出場する試合が増えて、”キーパー論争”にまで発展・・・5月15日にハンプデン・パーク(グラスゴー)で行われたバイヤー・レバークーゼンとのチャンピオンズリーグ決勝戦で負傷したセサルに代わり67分から出場。優勝後に2人が抱き合うシーンは感動的でした。
5月31日から6月30日のワールドカップ韓国・日本大会でホセ・アントニオ・カマチョ監督によりイエロ、エルゲラ、モリエンテスやラウルと共にスペイン代表に招集。カニサレスに代わって”1番”を付けたカシーリャスは決勝トーナメント1回戦でPK戦の末にアイルランドを下すなど活躍。スペインのベスト8入りに大きく貢献。カシーリャスは5試合(5失点)に出場。
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| 2002年−2003年 |
2002年7月16日からのプレシーズンのイルドニング合宿に参加。欧州選手権予選でイニャキ・サエス監督によりラウル・ブラボ、エルゲラ、モリエンテスやラウルと共にスペイン代表に招集。8月30日のフェイエノールトとのスーパーカップに出場。レアルマドリードは3対1でフェイエノールトを下してタイトルを獲得。ロナウドのデビュー戦となった10月6日の1部リーグ第5節のアラベス戦でPKをセーブ。(1部リーグで2度目)
12月3日のオリンピアとのヨーロッパ/サウスアメリカカップのオリンピア戦に出場。レアルマドリードは2対0でオリンピアを下したタイトルを獲得。オリンピアに得点を許さずタイトル獲得に貢献。2003年6月22日の1部リーグ最終節のアスレチック戦で勝利を挙げてリーグ優勝を達成。
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| 2003年−2004年 |
2003年7月26日からのプレシーズンのアジア遠征に参加。8月のマリョルカとのスペルコパに出場。レアルマドリードは4対2(2試合合計)でマリョルカを下してタイトルを獲得。10月14日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節のパルチザン戦に出場して通算50試合出場を達成。10月18日の1部リーグ第7節のセルタ戦に出場してレアルマドリードでの公式戦200試合出場を達成。
11月のノルウェイとの欧州選手権プレイオフに出場。スペインは5対1(2試合合計)でノルウェイを下して欧州選手権ポルトガル大会の出場を決定。2004年2月18日のペルーとの親善試合に出場。2月29日の1部リーグ第26節のセルタ戦に出場して1部リーグ通算150試合出場を達成。3月31日のデンマークとの親善試合に出場。4月28日のイタリアとの親善試合に出場。6月5日のアンドラとのテストマッチに出場。
6月12日から開催の欧州選手権ポルトガル大会に出場。スペインは1勝1分1敗でグループリーグ3位で敗退。カシーリャスは3試合(2失点)に出場。
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| 2004年−2005年 |
モンテカスティーリョ合宿に参加。日本遠征のメンバーに入りました。2004年9月3日のスコットランドとの親善試合にキャプテン・マークを付けて出場。9月8日のワールドカップ欧州予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦に出場。10月9日にワールドカップ欧州予選のベルギー戦に出場。ベルギーを0点に抑えて予選初勝利(2対0)に貢献。10月13日のワールドカップ欧州予選のリトアニア戦に出場。
10月19日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節のディナモ・キエフ戦に出場、レアルマドリードで通算250試合出場を達成。10月、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールやインテルが獲得に興味・・・11月4日、リーボック社との契約を2008年まで更新。11月17日のイングランドとの親善試合に出場。11月24日、モストレスのイメージ・アップに貢献したとして”モストレス賞”を受賞。
2005年1月、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)の2004年最優秀ゴールキーパー部門で第4位にノミネートされました。1月30日の1部リーグ第21節のヌマンシア戦でPKをセーブ。(1部リーグで3度目)2月9日のワールドカップ欧州予選のサンマリノ戦に出場。2月15日にカンプ・ノウで行なわれたスマトラ沖地震のチャリティ・マッチにラウル、ジダンやベッカムと共に出場。
2月26日の1部リーグ第25節のデポルティーボ戦で1部リーグ通算200失点(185試合)を記録。3月26日の中国との親善試合に出場。スペイン代表で通算47試合出場を達成、伝説のゴールキーパー、リカルド・サモラの記録を抜きました。3月30日のワールドカップ欧州予選のセルビア・モンテネグロ戦に先発出場。4月16日、600万ユーロの保険に加入したことが判明。
1試合平均失点が0.83点(36試合30失点)でバルセロナのバルデス(0.71点)に次いでサモラ部門2位でリーグを終了。6月4日のワールドカップ欧州予選のリトアニア戦に出場。6月8日のワールドカップ欧州予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦に出場。試合は1対1の引き分け。カシーリャスの連続無失点記録が途絶えました。カルーセル・デポルティーボの視聴者アンケートの結果、”トド・ウン・ベテラノ”賞を受賞。
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| 2005年−2006年 |
2005年7月8日、ラスロサスでプレシーズンを開始。7月14日からのワールドツアーに参加。8月3日からのイルドニング合宿に参加。8月17日のウルグアイとの親善試合でスペイン代表に招集。8月14日のハンガリー代表との親善試合(トリビュート・トゥ・プスカス)で左太ももを痛めたためウルグアイ戦に欠場。8月23日のMLS選抜とのベルナベウ杯に欠場、リーグ開幕戦に向けて調整・・・
9月7日のワールドカップ欧州予選のセルビア・モンテネグロ戦に出場。9月10日の1部リーグ第2節のセルタ戦に出場、1部リーグ通算200試合出場を達成。10月8日のワールドカップ欧州予選のベルギー戦に出場。10月12日のワールドカップ欧州予選のサンマリノ戦に出場。スペインはプレイオフへ。
11月1日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第4節のローゼンボリ戦に出場、レアルマドリードでの公式戦通算300試合出場を達成。チームは2対0で勝利、グループステージを突破。11月12日のスロバキアとのワールドカップ・プレイオフ第1戦に出場。11月16日の第2戦に出場。スペインは6対2(2試合合計)でスロバキアを下してワールドカップ出場。
11月30日、2011年まで5年間の契約更改(年俸750万ユーロ。肖像権の50%を譲渡)更改に合意。12月12日の代表合宿に招集。2006年2月8日のサラゴサとのコパデルレイ準決勝第1戦で痛恨の6失点。第2戦を4対0で制しましたが5対6(2試合合計)で敗退。3月1日のコートジボワールとの親善試合に出場。4月10日の代表合宿に招集。4月30日の1部リーグ第35節のオサスナ戦で1部リーグ初の退場処分に・・・
5月15日、ワールドカップ・ドイツ大会のスペイン代表メンバー入り。5月27日のロシアとの親善試合に出場。6月3日のエジプトとの親善試合に出場。6月14日のワールドカップ・グループリーグ第1戦のウクライナ戦に出場。6月19日のチュニジア戦に出場。スペインは2連勝で決勝トーナメント進出。6月27日の決勝トーナメント1回戦のフランス戦に出場。スペインは1対3で敗れてベスト16で敗退。
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| 2006年−2007年 |
2006年7月23日からイルドニング合宿に参加。8月7日からの米国遠征に参加。8月15日のアイスランドとの親善試合でスペイン代表に招集。欧州選手権予選のリヒテンシュタイン戦(9月2日)と北アイルランド戦(9月6日)に出場。10月7日の欧州選手権予選のスウェーデン戦に出場。11月15日のルーマニアとの親善試合に出場。12月17日の1部リーグ第15節のエスパニョール戦で1部リーグ通算250試合出場を達成。
2007年2月7日のイングランドとの親善試合に出場。3月13日のEU50周年記念試合で欧州リーグ選抜チームに招集。(マンチェスター・ユナイテッドと対戦)欧州選手権予選のデンマーク戦(3月24日)とアイスランド戦(3月28日)に出場。スペイン代表で通算68試合出場を達成。アルコナダと並び歴代7位に浮上。6月2日の欧州選手権予選のラトビア戦に出場。ブトラゲーニョの出場記録に並ぶ。
6月17日の1部リーグ第38節のマリョルカ戦を制してリーグ優勝。
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| 2007年−2008年 |
2007年7月21日、バルデベバスでプレシーズンを開始。7月22日からのイルドニング合宿に参加。8月22日のギリシャとの親善試合に招集。欧州選手権予選のアイスランド戦(9月8日)とラトビア戦(9月12日)に出場。10月13日の欧州選手権予選のデンマーク戦に出場。11月17日の欧州選手権予選のスウェーデン戦に出場。スウェーデンを0点に抑えて本大会の出場権獲得に貢献。
2008年1月13日の1部リーグ第19節のレバンテ戦で5試合連続無失点の記録を樹立。2月6日のフランスとの親善試合に出場。3月8日の1部リーグ第27節のエスパニョール戦でリーグ通算300試合出場を達成。3月26日のイタリアとの親善試合に出場。5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ2連覇を達成。1部リーグで36試合に出場して32失点。初のサモラ賞を受賞。5月31日のペルーとの親善試合に出場。
6月4日の米国との親善試合に出場。6月7日から29日までオーストリアとスイスで開催の欧州選手権に出場。カシーリャスはキャプテンとしては5試合(2失点)に出場して44年ぶりの優勝に貢献。
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| 2008年−2009年 |
2008年7月28日、イルドニング合宿に合流。8月12日のアイントラハト・フランクフルトとの親善試合に出場。8月20日のデンマークとの親善試合に出場。8月24日、バレンシアを下してスペルコパで優勝。ワールドカップ予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦(9月6日)とアルメニア戦(9月10日)に出場。ワールドカップ予選のエストニア戦(10月11日)とベルギー戦(10月15日)に出場。11月19日のチリとの親善試合に出場。
2009年2月7日の1部リーグ第22節のラシン・サンタンデール戦で454試合出場を達成。ブーヨが保有するレアルマドリードのキーパー最多出場記録に並びました。2月11日のイングランドとの親善試合に出場。ワールドカップ予選のトルコ戦(3月28日と4月1日)に出場。
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