| カンナバーロ/Fabio Cannavaro |
 |
イタリア代表のディフェンダー(センターバック)。上背はありませんが空中戦に強く、経験から来る予測能力と積極的な動きがカンナバーロの特徴。経験豊富で勝者のスピリットを持つ選手。カペッロ監督のお気に入りの選手。
ベテランですが、2005年−2006年のシーズン、ユベントスとイタリア代表で58試合に出場。フィジカルは衰えていません。2006年−2007年のシーズン、ユベントスからレアルマドリードへ移籍。 |
|
|
|
| Curiosity |
1980年代後半にマラドーナがプレイしたナポリのスタジアムでボールボーイを務めていたのは有名な話。(1990年ワールドカップ・イタリア大会準決勝でも)ユーロ2000からイタリア代表のキャプテン。
2005年−2006年のシーズン、ガゼッタ・デル・スポルトの採点(平均)は、セリエAが6.32点、コッパイタリアが6.75点、チャンピオンズリーグが5.89点。イタリア代表のキャプテン。[2006年6月]
イタリア国内ではゲイのアイドルで高い人気を誇ってますが、「俺は女性の方が好きだ・・・」と本人は喜んでません。ワールドカップ・ドイツ大会で優勝後、自身が所有するヨット(パーシング68、全長25メートル)でクルージングで休暇。3人の子供の父親。[2006年7月]
|
| 1992年−1993年 |
地元のナポリの下部組織でキャリアをスタート。マラドーナがチームを牽引していた際、トップチームの練習に参加することがありました。1993年3月7日、デッレ・アルピで行なわれたユベントス戦でセリエAでデビュー。カンナバーロは弱冠19歳でした。
|
| 1993年−1994年 |
ナポリでプレイ。定位置を確保。セリエAで27試合に出場。1994年4月20日、ポルトガルを1対0で下してU21欧州選手権で優勝。
|
| 1994年−1995年 |
ナポリでプレイ。セリエAで29試合に出場。その高いディフェンス力にパルマのネビオ・スカラ監督が注目。
|
| 1995年−1996年 |
パルマへ移籍。ストイチコフやピッポ・インザーギと一緒に加入しました。1996年5月31日、スペインをPK戦で下してU21欧州選手権で優勝。7月20日から8月3日まで開催のアトランタ・オリンピックに出場。イタリアはグループリーグで敗退。カンナバーロは3試合に出場。
|
| 1996年−1997年 |
パルマでプレイ。アンチェロッティ監督の指揮下、チュラムと共にディフェンス陣を牽引。友人のブッフォンが、このシーズン、パルマに加入。カンナバーロは、1997年1月22日に行なわれた北アイルランドとの親善試合でイタリア代表でデビュー。パルマはセリエAで2位に躍進。カンナバーロは27試合に出場。
|
| 1997年−1998年 |
パルマでプレイ。1998年6月に行なわれたワールドカップ・フランス大会に出場。フランスとの準々決勝はPK戦の末に敗れました。カンナバーロは5試合に出場。
|
| 1998年−1999年 |
パルマでプレイ。1999年5月5日、コッパイタリア決勝戦でフィオレンティーナを下して優勝。(アウェイゴール・ルール)5月12日、UEFAカップ決勝戦でオリンピック・マルセイユを下して優勝。カンナバーロは8試合に出場、ブッフォンやチュラムと共にタイトル獲得に貢献しました。
|
| 1999年−2000年 |
パルマでプレイ。1999年8月21日、ミランを下してスーペルコッパを制覇。2000年6月に行なわれた欧州選手権ベルギー・オランダ大会に出場。決勝戦でフランスに1対2で敗れました。カンナバーロは6試合に出場。
|
| 2000年−2001年 |
パルマでプレイ。
|
| 2001年−2002年 |
パルマでプレイ。2002年5月10日、コッパイタリア決勝戦でユベントスを下して優勝。(アウェイゴール・ルール)5月31日から6月30日まで開催のワールドカップ韓国・日本大会に出場。イタリアは決勝トーナメント1回戦で敗退。カンナバーロは3試合に出場。より大きなクラブで活躍するチャンスを得ました。
|
| 2002年−2003年 |
インテルが移籍金2,300万ユーロで獲得に成功。クーペル監督との関係は必ずしも良好ではありませんでした。監督はあまり信頼せず、カンナバーロはサイドバックでプレイ。インテルは、セリエAで2位、チャンピオンズリーグでは準決勝へ進出。
|
| 2003年−2004年 |
インテルでプレイ。2004年6月12日から7月4日に開催の欧州選手権ポルトガル大会に出場。イタリアはグループリーグで敗退。カンナバーロは2試合に出場。
|
| 2004年−2005年 |
ユベントスへ移籍。カペッロ監督の指揮下でプレイ。再び輝きを取り戻しました。セリエAで全38試合に出場。スクデット制覇。(後に剥奪)
|
| 2005年−2006年 |
ユベントスでプレイ。スクデット連覇を達成。(後に剥奪)2006年6月9日から7月9日まで開催のワールドカップ・ドイツ大会に出場。7月9日のフランスとの決勝戦でイタリア代表通算100試合出場を達成。マルディーニ(126試合)、ゾフ(112試合)に次いで歴代3位。イタリアはPK戦の末にフランスを下して優勝。カンナバーロは6試合に出場して6大会ぶりの優勝に貢献しました。
|
| 2006年−2007年 |
2006年7月14日、モッジ事件の裁判でユベントスはセリエBへ降格。過去2回の優勝を剥奪。7月19日、レアルマドリードへ移籍。2年契約(1年間の延長オプション付)。移籍金はエメルソンと合わせて2,300万ユーロ。7月24日、メディカル・チェックにパス。7月25日、入団発表。背番号は5番に決定。8月5日からシウダード・レアルマドリードで練習を開始。8月7日からの米国遠征に参加。
8月9日のDCユナイテッドとの親善試合でデビュー・・・8月18日のカランサ杯準決勝のベティス戦でレアルマドリードで初ゴールを記録・・・8月27日の1部リーグ第1節のビリャレアル戦でスペインリーグでデビュー・・・欧州選手権予選のリトアニア戦(9月2日)とフランス戦(9月6日)に出場。欧州選手権予選のウクライナ戦(10月7日)とグルジア戦(10月11日)に出場。11月15日のトルコとの親善試合に出場。
11月27日、バロンドールを受賞。12月18日、FIFAワールドプレイヤーを獲得。2007年1月、2006年カルチョ最優秀選手賞を受賞。3月28日の欧州選手権予選のスコットランド戦に出場。6月2日の欧州選手権予選のフェロー諸島戦に出場。6月6日のリトアニア戦に出場。6月17日の1部リーグ第38節のマリョルカ戦を制してリーグ優勝。1年目のシーズン、1部リーグで31試合に出場してリーグ優勝に貢献。
|
| 2007年−2008年 |
2007年7月21日、バルデベバスでプレシーズンを開始。7月22日からのイルドニング合宿に参加。8月22日のハンガリーとの親善試合に出場。欧州選手権予選のフランス戦(9月8日)とウクライナ戦(9月12日)に出場。11月17日の欧州選手権予選のスコットランド戦に出場。イタリアは本大会の出場権を獲得。12月11日のラツィオ戦でチャンピオンズリーグ通算50試合出場を達成。
2008年3月26日のスペインとの親善試合に出場。5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ2連覇を達成。怪我のため欧州選手権オーストリア・スイス大会は欠場。
|
| 2008年−2009年 |
2008年7月21日からのイルドニング合宿に参加。
|
|