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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| カマチョ/Jose Antonio Camacho Alfaro |
| アルバセテからレアルマドリードへ |
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ホセ・アントニオ・カマチョ・アルファロは、1955年6月8日、父アントニオ・カマチョと母グレゴリア・アルファロの5人兄弟の末っ子としてシエサ(ムルシア)で生まれました。(兄のペドロもサッカー界に進みました。)
ホセ・アントニオ少年が6歳の時、一家はアルバセテへ引越し。そこで初めてボール遊びをするようになりました。16歳の時、左エクストレーモとして起用されてアルバセテのフベニールでデビューを果たしました。
レベルの高さから注目されるようになり、スペイン・ユース代表のエクトル・リアル監督から招集されるようになりました。スペイン・ユース代表で3試合に出場したことはアルバセテのトップチームへのステップアップ(地域リーグ)に役立ちました。
暫くの間、アルバセテでプレイしましたが、レアルマドリードがカマチョに関心を示しました。もちろん、バルセロナも同様でしたが・・・カマチョは、レアルマドリードの誘いに応じて、テストを受けるため首都マドリードを訪ねました。(カマチョのレアルマドリードでの伝説の始まりでした。) |
テストはこれ以上満足することができないほどでした。1973年3月、カマチョは、レアルマドリードの下部チームであるカスティーリャへ加入しました。1973年−1974年のシーズン、カマチョはカスティーリャでプレイしてチームの主力選手の一人になりました。活躍からトップチームへステップアップ。1974年3月3日のマラガ戦で1部リーグでのデビューを果たしました。(以降、トップチームで不動のメンバーになりました。)
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| 不死鳥のように復活 |
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1974年−1975年のシーズン、ミルハン・ミルハニッチ監督が就任すると、カマチョは、左サイドバックで不動の先発メンバーになりました。リーグと総統杯(現コパデルレイ)の二冠を達成。1975年−1976年のシーズン、リーグ2連覇を達成しました。
カマチョがサッカー選手として最高の瞬間を迎えていた時にアクシデントが発生しました。1978年1月5日、カマチョは、練習中に負傷。左膝の靱帯損傷と半月盤損傷と言う重傷でした。このため、ほぼ2年間、グランドから離れることになりました。
手術を受けましたが、結果は思い通りのものではありませんでした。カマチョは、1979年3月2日にパリで再び手術を行ないました。このシーズン、レアルマドリードは2年ぶりにリーグ優勝を達成。(カマチョは15試合に出場。)カマチョは、1979年9月9日のバレンシア戦からリーグで復帰。自身2度目のリーグとコパデルレイの二冠を達成しました。(リーグは3連覇) |
”キンタ・デル・ブイートレ”時代を迎えたレアルマドリードで、カマチョは、更に、リーグ優勝4回、コパデルレイ優勝1回、コパデラリガ優勝1回、スペルコパ優勝1回、UEFAカップ優勝2回を達成。1989年6月30日、カマチョは、現役生活にピリオドを打ち、レアルマドリードの下部組織の監督に就任しました。
1990年5月1日、レアルマドリードはカマチョの栄誉を称えました。レアルマドリードとバルセロナのOBが対戦。(試合はデル・ボスケとフアニートのゴールでレアルマドリードが2対1で勝利。)その後、レアルマドリードはミランと対戦。カマチョは2試合共に数分間出場、スタジアムを満員にしたファンから拍手喝采を受けました。
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| スペイン代表で通算81試合に出場 |
カマチョは、1975年2月5日にバレンシアで行なわれたスコットランド戦でクバラ監督が起用してスペイン代表でデビュー。サンタマリア監督やムーニョス監督時代、常に代表入りを果たしていました。1982年のワールドカップ・スペイン大会、1986年のワールドカップ・メキシコ大会に出場しました。
1988年6月17日にミュンヘンで行なわれた西ドイツ戦がスペイン代表での最後の試合になりました。スペイン代表で通算81試合(0得点)に出場。(長らくの間、スペイン代表の歴代最多出場記録でした。)
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| 指導者としての歩み |
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1989年−1990年のシーズン、カマチョは、レアルマドリードの下部組織の監督に就任。また、ディ・ステファノ監督の第2コーチを務めました。1992年にレアルマドリードを退団して新たな挑戦を始めました。
1992年−1993年のシーズン、2部リーグのラヨバリェカーノの監督に就任して1部リーグ昇格を果たしました。翌シーズン、ラヨバリェカーノは14位で1部リーグに残留を決めました。
1993年−1994年のシーズン、2部リーグのエスパニョールの監督に就任して1部リーグ昇格を果たしました。1995年−1996年のシーズン、エスパニョールはリーグで4位に入りUEFAカップの出場権を獲得。カマチョ監督はこのシーズン限りでエスパニョールを退団しました。
1996年5月、カマチョはセビリアの監督に就任。1997年2月3日、20位に低迷するセビリアの監督を辞任。1997年−1998年のシーズン、カマチョは、エスパニョールの監督に復帰しました。 |
1998年6月17日、カマチョは、レアルマドリードのロレンソ・サンス会長の指名でレアルマドリードの監督に就任。しかしながら、7月9日、辞任の記者会見を開きました。在任期間は僅か22日間でした。
9月15日、カマチョは、スペイン代表監督に任命されました。(契約は欧州選手権後の2000年7月31日まで)9月23日のロシア戦で初采配。2000年の欧州選手権オランダ・ベルギー大会でスペイン代表を指揮。スペイン代表はベスト8入り。スペインサッカー連盟(RFEF)とカマチョ監督は、2年間の契約更改で合意。2002年のワールドカップ韓国・日本大会でスペイン代表を指揮。スペイン代表はベスト8入りを果たしました。
7月2日、カマチョ監督は、スペイン代表監督の辞任を記者会見で発表しました。代表監督としての通算成績は44試合28勝9分7敗。2002年11月29日、ベンフィカの監督に就任。2004年5月25日、カルロス・ケイロス監督の後任としてレアルマドリードの監督に復帰。(2年契約)2004年9月20日、カマチョ監督は辞任。ガルシア・レモン監督補佐が後を引き継ぎました。
2006年6月、レアルマドリードの会長選挙に立候補したフアン・パラシオス陣営に加わりました。(当選した場合、スポーツ部長に就任)7月2日の投票の結果、パラシオス候補はカルデロン候補に僅差で敗れました。
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カマチョ兄弟
ホセ・アントニオ・カマチョの実兄、ペドロ・アントニオ・カマチョはシエサ(3部リーグ)の監督。
変わらぬ友情・・・
デル・ボスケ、カマチョ、ガルシア・レモンとピーリが大切にしている友情は不変。いつもイサマール(サンセバスチャン・デ・ロス・レイエス)で食事を取っていますが、レティロ公園側のブエルタ・イ・ブエルタに集まっているところが目撃されました。[2006年3月]
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1955年6月8日 |
| 出身地 |
シエサ/ムルシア |
| 国籍 |
スペイン |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
ディフェンダー/左サイドバック |
| レアルマドリード在籍 |
1973年8月1日−1989年6月30日 |
| 1部リーグデビュー |
1974年3月3日 マラガ対レアルマドリード |
| 代表デビュー |
1975年2月5日 スペイン対スコットランド |
| 代表最終出場試合 |
1988年6月17日 スペイン対西ドイツ |
| 代表出場試合数 |
81試合(0得点) |
| 監督 |
| 契約 |
1998年6月17日−1998年7月9日
2004年5月25日−2004年9月20日 |
| 1部リーグデビュー |
1992年9月5日 バレンシア対ラヨバリェカーノ |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1972年−1973年 |
アルバセテ/3部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1973年−1974年 |
カスティーリャ/3部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1973年−1974年 |
レアルマドリード |
5 |
0 |
0 |
0 |
C3 |
0 |
0 |
| 1974年−1975年 |
レアルマドリード |
34 |
0 |
7 |
1 |
C2 |
6 |
0 |
| 1975年−1976年 |
レアルマドリード |
33 |
1 |
2 |
0 |
C1 |
8 |
0 |
| 1976年−1977年 |
レアルマドリード |
32 |
2 |
2 |
0 |
C1 |
4 |
0 |
| 1977年−1978年 |
レアルマドリード |
15 |
2 |
4 |
0 |
- |
- |
- |
| 1978年−1979年 |
レアルマドリード |
0 |
0 |
0 |
0 |
C1 |
0 |
0 |
| 1979年−1980年 |
レアルマドリード |
33 |
0 |
3 |
0 |
C1 |
8 |
0 |
| 1980年−1981年 |
レアルマドリード |
34 |
0 |
4 |
0 |
C1 |
9 |
0 |
| 1981年−1982年 |
レアルマドリード |
33 |
2 |
6 |
0 |
C3 |
8 |
0 |
| 1982年−1983年 |
レアルマドリード |
34 |
1 |
7 |
0 |
C2 |
8 |
0 |
| 1983年−1984年 |
レアルマドリード |
30 |
1 |
8 |
1 |
C3 |
2 |
0 |
| 1984年−1985年 |
レアルマドリード |
33 |
0 |
2 |
0 |
C3 |
12 |
0 |
| 1985年−1986年 |
レアルマドリード |
29 |
0 |
4 |
0 |
C3 |
12 |
0 |
| 1986年−1987年 |
レアルマドリード |
32 |
0 |
2 |
0 |
C1 |
8 |
0 |
| 1987年−1988年 |
レアルマドリード |
30 |
0 |
8 |
0 |
C1 |
4 |
0 |
| 1988年−1989年 |
レアルマドリード |
7 |
0 |
0 |
0 |
C1 |
1 |
0 |
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| タイトル(選手) |
| スペイン |
| リーグ |
1974年−1975年 1975年−1976年 1977年−1978年
1978年−1979年 1979年−1980年 1985年−1986年
1986年−1987年 1987年−1988年 1988年−1989年 |
| コパデルレイ |
1974年−1975年 1979年−1980年 1981年−1982年
1988年−1989年 |
| スペルコパ |
1988年 |
| コパデラリガ |
1984年−1985年 |
| ヨーロッパ |
| UEFAカップ |
1984年−1985年 1985年−1986年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1989年−1990年 |
レアルマドリード・下部組織 |
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| 1990年−1991年 |
レアルマドリード ※第2コーチ |
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| 1991年−1992年 |
ラヨバリェカーノ/2部リーグ |
38 |
20 |
8 |
10 |
| 1992年−1993年 |
ラヨバリェカーノ |
38 |
8 |
17 |
13 |
| 1993年−1994年 |
エスパニョール/2部リーグ |
38 |
20 |
12 |
6 |
| 1994年−1995年 |
エスパニョール |
38 |
14 |
15 |
9 |
| 1995年−1996年 |
エスパニョール |
42 |
20 |
14 |
8 |
| 1996年−1997年 |
セビリア |
21 |
5 |
3 |
13 |
| 1997年−1998年 |
エスパニョール |
38 |
12 |
17 |
9 |
| 1998年−1999年(22日間) |
レアルマドリード |
0 |
0 |
0 |
0 |
| 1998年−2002年 |
スペイン代表 |
48 |
28 |
9 |
7 |
| 2002年−2003年 |
ベンフィカ(ポルトガル) |
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| 2004年−2005年 |
レアルマドリード |
3 |
2 |
0 |
1 |
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| タイトル(監督) |
| スペイン |
| 2部リーグ |
1993年−1994年 |
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