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| RAUL GONZALEZ - BIOGRAPHY |
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| 2002年8月20日 |
| スペイン代表のキャプテンに |
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ラウルは、レアルマドリードのチームメートでもあるフェルナンド・イエロからスペイン代表のキャプテンを引き継ぎました。
キャプテンとしてのデビュー戦は、8月21日にブダペストで行われたハンガリーとの親善試合でした。残念ながらゴールを挙げることはできず、試合は、1対1の引き分けに終わりました。 |
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| 2002年8月29日 |
| UEFAチャンピオンズリーグ最優秀フォワード賞を受賞 |
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モナコのスポーティング・クラブで恒例のヨーロッパサッカー連盟(UEFA)のチャンピオンズリーグ各賞の授賞式が行われました。
ラウルは、ルート・ファン・ニステルローイ(マンチェスター・ユナイテッド)とダビド・トレゼゲ(ユベントス)を抑えてチャンピオンズリーグ最優秀フォワード賞を受賞しました。ラウルの受賞は3年連続3回目。
ラウルは、MVPの候補にも挙がりましたが、最終的に、チームメートのジダンが獲得。また、ロベルト・カルロスが最優秀ディフェンダー賞、デル・ボスケ監督が最優秀監督賞を受賞しました。 |
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| 2002年8月30日 |
| スーパーカップを初制覇 |
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チャンピオンズリーグ優勝のレアルマドリードは、モナコのルイ2世スタジアムでUEFAカップ優勝のフェイエノールトと対戦しました。
試合は、15分、パウウェのオウンゴールでレアルマドリードが先制。21分、グティからのボールを受けたロベルト・カルロスがゴールエリア中央から右足で浮かしたシュートを放ち、ボールは相手GKズーデビールの上を超えてゴールへ。レアルマドリードは前半を2対0で終了しました。
55分にファン・ホーイドンクのゴールでフェイエノールトが1点を返しましたが、59分、グティのヘディングシュートで試合を決定付けました。レアルマドリードは、フェイエノールトを3対1下して3度目の挑戦でスーパーカップを初制覇。
ラウルは、ロナウド問題で出場できなかったモリエンテスのため自らのユニフォームの下にモリエンテスのユニフォームを着て試合に臨みました。残念ながらゴールでパフォーマンスを見せることはできませんでした。 |
出場選手
GK:カシーリャス
DF:サルガド、イエロ、エルゲラ、ロベルト・カルロス
MF:マケレレ、カンビアッソ(パボン、87分)、フィーゴ、ジダン(ソラリ、85分)
FW:ラウル、グティ(ポルティーリョ、70分)
結果
レアルマドリード 3−1 フェイエノールト
得点
1−0(パウウェ、15分、OG) 2−0(ロベルト・カルロス、21分) 2−1(ファン・ホーイドンク、55分) 3−1(59分、グティ)
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| 2002年9月7日 |
| スペイン代表の通算得点記録を樹立 |
2004年欧州選手権予選のギリシャ戦でチームメートのモリエンテス、サルガド、エルゲラなどと共にスペイン代表に招集。ラウルは開始直後の8分に先制ゴールを挙げて、スペインはギリシャを2対0で下しました。
ラウルは、スペイン代表での通算得点を29得点としてイエロと並び通算得点ランキングのトップに立ちました。また、このゴールは、スペイン代表の通算900得点となるメモリアル・ゴールでした。
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| 2002年10月10日 |
| バロンドール候補にノミネート |
2002年のバロンドール候補にノミネートされました。昨年、オーウェン(リバプール)と36ポイント差の2位で惜しくもバロンドール受賞を逸したラウルにとって最大のライバルはジダン、ロナウド、カーンか・・・
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| 2002年11月20日 |
| 第二子、ウーゴ君の誕生 |
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マメン・サンス夫人が、可愛らしい男の子を出産しました。
ラウルは、12月8日にソン・モイで行われたマリョルカ戦までウーゴ君にゴールを捧げることができていませんでした。マリョルカ戦の62分、ロベルト・カルロスのシュートが逸れたところを押し込んでゴール、直後の67分、エリア内でお手本となるゴールを挙げてドブレーテを達成しました。
試合後のインタビューで、ラウルは、「ゴールは、いつものように、妻と息子のホルヘ、それと、未だ、ゴールを捧げることができてなかった、この前、生まれたウーゴに捧げた。
この試合は、大事な一戦だった。と言うのも、インターコンチネンタルカップの決勝戦(12月3日)で、僕達が見せた良いプレイを再確認させてくれるので。トップに立つためにも、この調子で行かなければならない。」と最後はあくまでもチームの勝利の重要性を強調しました。 |
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| 2002年12月3日 |
| ヨーロッパ/サウスアメリカカップを制覇 |
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2001年−2002年のチャンピオンズリーグで優勝したレアルマドリードは、ヨーロッパ/サウスアメリカカップでリベルタドーレスカップ優勝のオリンピア(パラグアイ)と対戦しました。
レアルマドリードは、オリンピアを2対0で下して4年ぶりに3度目のタイトルを獲得しました。ラウルにとっては2度目のタイトル獲得でした。
トヨタカップの舞台は、今回より国立霞ヶ丘競技場から横浜国際総合競技場へ移りました。
出場選手
GK:カシーリャス
DF:サルガド、イエロ、エルゲラ、ロベルト・カルロス
MF:マケレレ、カンビアッソ(パボン、89分)、フィーゴ、ジダン(ソラリ、85分)
FW:ラウル、ロナウド(グティ、81分) |
結果
レアルマドリード 2−0 オリンピア
得点
1−0(ロナウド、13分) 2−0(グティ、84分)
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| 2002年12月11日 |
| レアルマドリード公式戦で通算200得点を達成 |
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チャンピオンズリーグのロコモティフ・モスクワ戦で2得点を挙げたラウルは、レアルマドリードの公式戦で通算200得点を達成しました。
レアルマドリードの公式戦で405試合に出場して201得点を記録。内訳は、リーグで144得点、チャンピオンズリーグで38得点、コパデルレイで9得点、スペルコパで6得点、クラブ世界選手権で2得点、スーパーカップで1得点、インターコンチネンタルカップで1得点。
レアルマドリードの100年間の公式戦でディ・ステファノ(307得点)、サンティリャーナ(290得点)、プスカス(236得点)、ウーゴ・サンチェス(207得点)に次いで第5位につけています。 |
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| 2003年1月11日 |
| 1部リーグ通算300試合出場を達成 |
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バライードス・スタジアムで行われたセルタ戦で1部リーグ通算300試合出場を達成しました。
【ラウルの1部リーグでの主要データ】
試合数:300試合(ホームで105勝29分18敗、アウェイで57勝49分42敗、合計162勝78分60敗)
得点:148得点(ホームで90得点、アウェイで58得点)
警告:17回(ホームで4回、アウェイで13回)
退場:無 |
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| 2003年2月12日 |
| スペイン代表の歴代通算最多得点に |
ラウルは、ソン・モイで行われたドイツとの親善試合で2得点を挙げました。ラウルは、スペイン代表での通算得点を31得点として、チームメートのイエロを抜いてスペイン代表の歴代通算得点ランキングで単独トップに立ちました。
【ラウルのスペイン代表での得点記録】
1998年ワールドカップ予選:1得点
1998年ワールドカップ:1得点
2000年欧州選手権予選:11得点
2000年欧州選手権:1得点
2002年ワールドカップ予選:4得点
2002年ワールドカップ:3得点
2004年欧州選手権予選:1得点
親善試合:9得点
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| 2003年3月1日 |
| レアルマドリードの公式戦通算得点ランキングで4位に浮上 |
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ラウルは、1部リーグ第24節のアラベス戦で2ゴールを挙げてレアルマドリードでの通算得点を208得点としました。ラウルは、ウーゴ・サンチェスを抜いて得点ランキングで4位に浮上しました。
ラウルの上には、ディ・ステファノ、サンティリャーナとプスカスと言う伝説の選手だけとなりました。なお、レアルマドリードは、アラベスを5対1で下しましたが、ダブルRが全得点(ロナウドはハットトリック)を挙げました。
【レアルマドリードの公式戦通算得点ランキング】
ディ・ステファノ:307得点
サンティリャーナ:290得点
プスカス:236得点
ラウル:208得点
ウーゴ・サンチェス:207得点 |
【ラウルの主な得点記録】
代表通算得点:31得点(歴代1位)
リーグ得点王:2回(1998年−1999年:25得点、2000年−2001年:24得点)
リーグ通算得点:150得点(現役選手1位)
チャンピオンズリーグ通算得点:39得点(現役選手1位)
チャンピオンズリーグ得点王:2回(1999年−2000年:10得点、2000年−2001年:7得点)
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| 2003年6月20日 |
| アディダス少年サッカークリニックで指導 |
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レアルマドリードを訪れたアディダスは、マドリードのアスカ広場で200人以上の子供達を集めてクリニックを開きました。クリニックには、レアルマドリードからイエロ、ラウル、ジダン、カンビアッソとソラリが参加。選手達は、子供達を喜ばせましたが、”リーグ優勝して!”と言う実にはっきりとした声援を受けました。口元に笑みを絶やさず、選手達は、参加者に対してタイトルを約束しました。その後、イエロ、ソラリとカンビアッソは、それぞれサイン会のため、カステリャーナ、プレシアードスとゴヤにあるエル・コルテ・イングレスへと向かいました。
来シーズンの新ユニフォームのプレゼンテーションを終えて、アディダスは、アスカ広場で200人以上の子供達を集めてクリニックを開きました。クリニックには、イエロ、ラウル、ジダン、カンビアッソとソラリが参加、子供達から拍手喝采で迎えられました。レアルマドリードの選手達は、2003年−2004年シーズン用のユニフォームを着用、見物席には100人以上がいる中、人工芝のグランド上で即席教室を開催。
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フェルナンド・イエロは、フリーキックの蹴り方を子供達に指導する責任がありました。ラウル・ゴンサレスは、巧みにまた正確にシュートする方法を指導。ジダンは、セカンド・ユニフォームを着て、ボールの扱い方を子供達にしっかりと言い含める役割を持ちました。第2グランドでは、ソラリが、”新しいチームメート”と共に3人1組でプレイ。最後に、カンビアッソは、サンティリャーナの特待生になり、子供達のヘディングを楽しみました。
暑さにも拘らず、選手達は、このイベントを楽しみ、子供達は、笑顔が絶えませんでした。クリニック終了前のメッセージは、実にはっきりとしたもので、”リーグ優勝して!”と言うものでした。選手達は、土曜日、アスレチックとの対戦を前にした最後の練習を行っていましたが、約束して会場を後にしました。イエロ、カンビアッソとソラリは、サイン会が開かれたエル・コルテ・イングレスの各店舗へ向かいました。
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| 2003年6月22日 |
| リーグ優勝を達成 |
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レアルソシエダードとのリーグ優勝争いは最終節までもつれ込みました。レアルマドリードは、第38節、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでアスレチックと対戦しました。
ロナウドのドブレーテとロベルト・カルロスのゴールでアスレチックを3対1で下して通算29回目の優勝を達成しました。ラウルは自身通算4度目のリーグ優勝となりました。 |
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| 2003年6月27日 |
| 史上最年少のキャプテンに |
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ラウルは、1977年6月27日にマドリードで生まれました。17年後、当時のホルヘ・バルダーノ監督の手により、レアルマドリードで1部リーグでのデビューを果たしました。
2003年6月27日、26歳の誕生日を迎えたラウルは、バルダーノ・スポーツ総合部長より、「ラウルが、レアルマドリードから移籍する可能性は皆無だ。」と言わせるほどクラブの象徴的な選手に・・・
レアルマドリード史上最年少のキャプテンは、今後、ますます活躍することでしょう。 |
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| 経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1994年−1995年 |
レアルマドリード |
28 |
9 |
2 |
1 |
- |
- |
- |
| 1995年−1996年 |
レアルマドリード |
40 |
19 |
2 |
1 |
C1 |
8 |
6 |
| 1996年−1997年 |
レアルマドリード |
42 |
21 |
5 |
1 |
- |
- |
- |
| 1997年−1998年 |
レアルマドリード |
35 |
10 |
1 |
0 |
C1 |
11 |
2 |
| 1998年−1999年 |
レアルマドリード |
37 |
25 |
2 |
0 |
C1 |
8 |
3 |
| 1999年−2000年 |
レアルマドリード |
34 |
17 |
4 |
0 |
C1 |
15 |
10 |
| 2000年−2001年 |
レアルマドリード |
36 |
24 |
1 |
0 |
C1 |
12 |
7 |
| 2001年−2002年 |
レアルマドリード |
35 |
14 |
6 |
6 |
C1 |
12 |
6 |
| 2002年−2003年 |
レアルマドリード |
31 |
16 |
2 |
0 |
C1 |
12 |
9 |
| 合計 |
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318 |
155 |
25 |
9 |
- |
78 |
43 |
|
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