|
|
| RAUL GONZALEZ - BIOGRAPHY |
|
|
|
|
|
|
| 1994年9月6日 |
| トップチームに初招集 |
 |
1994年−1995年のシーズン、2部リーグBのレアルマドリードCへステップアップ。ラウルの月給は6万ペセタでした。
このシーズン、テネリフェの監督からレアルマドリードに復帰したホルヘ・バルダーノ監督は、ラウル、グティ、アルバロ、ビクトル、モラン、ルイス・マルティネス、トーレスと言った若手選手をトップチームの練習に参加させましたが、特に、ラウルに注目していました。
1994年9月6日、バルダーノ監督は、オビエドとの親善試合でラウルを初めてトップチームに招集しました。レアルマドリードは、オビエドと2対2で引き分けましたが、ラウルが試合に出場することはありませんでした。
|
|
|
|
|
| 1994年10月22日 |
| 2部リーグでデビュー |
ラウルは、前週、レアルマドリードC(2部リーグB)のコラレホス戦で5得点を挙げた後、ラファ・ベニテス監督によりレアルマドリードB(2部リーグ)に招集されました。
1994年10月22日に行われた2部リーグ第2節のパラモス戦で2部リーグでデビュー。しかしながら、2部リーグの試合に出場したのは唯一この試合だけでした。と言うのも、翌週には、1部リーグでデビューすることになるため。なお、ラウルは不発に終わりレアルマドリードBは1対2で敗れました。
|
|
|
|
| 1994年10月29日 |
| 1部リーグでデビュー |
 |
バルダーノ監督は、レアルマドリードCで16得点(7試合)を挙げていた若きストライカー、ラウルにチャンスを与えました。
デビュー戦の前日、ラウルは、バルダーノ監督から「明日、プレイすることとなるが、失神しないように個別に言っておこう。」と告げられました。
ラウルは、ラ・ロマレーダ・スタジアムでコパデルレイのチャンピオンでカップウイナーズカップのタイトルを目指していたサラゴサとの試合で先発出場しました。
17歳4ヶ月でデビュー(レアルマドリードの史上最年少記録)したラウルは、良い試合を行いましたが、何度か決定的なチャンスを逃しました。レアルマドリードは、終了間際にゴールを許して2対3で敗れてラウルにとってはほろ苦いデビュー戦となりました。
サラゴサ戦でデビューした後、月給が6万ペセタから30万ペセタにアップしました。 |
出場選手
GK:ブーヨ
DF:キケ、イエロ、サンチス、ルイス・エンリケ
MF:ミチェル、レドンド、ラウドルップ(サンドロ、81分)、アマビスカ
FW:ラウル、サモラーノ
結果
サラゴサ 3−2 レアルマドリード
得点
1−0(エスナイデル、7分) 2−0(エスナイデル、51分) 2−1(サモラーノ、56分) 2−2(アマビスカ、78分) 3−2(ポエット、85分)
セドルンは、ラウルが、プロ選手としてのキャリアで向かい合った最初のゴールキーパーでした。バスク出身のゴールキーパーは、1年後、アス紙に対して、「あの夜、ラウルが、もっと上手くなるのだろうと分かった。ビクトル・フェルナンデス(当時の監督)は、ハーフタイムでディフェンスを調整する必要があった。と言うのも、あの少年が、我々を慌てふためかせたので。積極的にシュートをしたが、ラウルには、唯一、ゴールだけが足りなかった。」と当時を振り返っていました。
ラ・ロマレーダでの歴史的な夜、レアルマドリードでの最初の監督であったホルヘ・バルダーノは、「確かなところ、5回もゴールのチャンスがあったが、どれも活かせなかった。だが、私にとって、レアルマドリードの最高の選手である違いを見せていた。常に、マークを外していたし、ディフェンダーの背後を突いていた。絶妙なパスでサモラーノのゴールを生み出した。絶えず攻撃に参加して、セドルンのリズムを狂わせていた。クラックだった。」とコメント。
|
|
|
|
| 1994年11月5日 |
| 1部リーグで初ゴール |
 |
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでのデビュー戦となった1部リーグ第10節のアトレティコ・マドリード戦で1部リーグ初ゴールを挙げました。
ラウルは、36分、ディエゴをかわしてチーム3点目となるゴールを挙げました。ゴールを決めたラウルは、ベンチまで走り、ダニと抱き合って喜びました。
レアルマドリードは4対2でアトレティコ・マドリードを下してラウルはトップチームでの初勝利を経験。 |
出場選手
GK:ブーヨ
DF:キケ、アルコルタ、サンチス、ルイス・エンリケ
MF:ミチェル、レドンド、ラウドルップ、アマビスカ
FW:サモラーノ(ダニ、79分)、ラウル(マルティン・バスケス、60分)
結果
レアルマドリード 4−2 アトレティコ・マドリード
得点
1−0(ミチェル、20分) 2−0(サモラーノ、25分) 2−1(コセツキ、26分) 3−1(ラウル、36分) 4−1(サモラーノ、45分) 4−2(シメオネ、47分)
|
|
|
|
| 1995年1月7日 |
| クラシコでデビュー |
 |
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた1部リーグ第16節、クライフ監督率いるバルセロナとのクラシコに先発出場。ラウルは不発に終わりましたが、レアルマドリードは、サモラーノのハットトリック、ルイス・エンリケとアマビスカのゴールで5対0で大勝しました。 |
|
|
|
|
| 1995年1月22日 |
| 1部リーグで初のドブレーテを達成 |
レアルマドリードは、1部リーグ第18節、セルタに4対0で大勝。ラウルはリーグ戦で初めてドブレーテを達成しました。ラウルは前半と後半に1点ずつを記録。また、フェルナンド・イエロもドブレーテを達成しました。ラウルが素晴らしい動きを見せていましたが、ホルヘ・バルダーノ監督は、途中でラファエル・マルティン・バスケスと交代を命じました。
しかしながら、試合を終えて、ラウルは、失望することなく、むしろ、喜びを示しました。「特別な感じですね。1部リーグで1試合2ゴールは、続けて行くための意欲をくれました。練習を続けていかないとダメだね。1部リーグの選手だし、プレイしてるけど、未だ、足りない部分が多いから・・・今年は、サッカー選手として成長を続けるため経験を得るために役立たせないとダメだね・・・」
|
|
|
|
| 1995年1月30日 |
| U20スペイン代表に招集 |
1部リーグでデビューして数ヶ月しか経ってませんでしたが、U20スペイン代表のアンドニ・ゴイコエチェア監督が代表のユニフォームでプレイするためラウルを招集しました。
|
|
|
|
| 1995年4月13日−28日 |
| 世界ユース選手権カタール大会に出場 |
 |
世界ユース選手権カタール大会でゴイコエチェア監督により大親友のイバン・デ・ラ・ペーニャやモリエンテス、サルガドなどと共にU20スペイン代表に招集されました。
7番を付けたラウルは、グループリーグで3試合に先発出場、2得点を挙げてチームを準々決勝進出に導きました。グループリーグでは、中田英寿がいたU20日本代表とも対戦。ラウルも中田もゴールを挙げましたがスペインが2対1で日本を下しました。
準決勝ではU20アルゼンチン代表に0対3で完敗、3位決定戦(ラウルは欠場)でもU20ポルトガル代表に2対3で敗れて4位に終わりました。ラウルは、5試合に出場して3得点を挙げる活躍でした。 |
|
|
|
|
| 1995年6月3日 |
| リーグ優勝を達成 |
レアルマドリードは、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行われた1部リーグ第36節でデポルティーボを2対1で下して、5年ぶり26度目のリーグ優勝を達成しました。
ラウドルップの魔術、アマビスカとサモラーノの連携が、タイトル獲得の鍵となりましたが、若きストライカー、ラウルは、28試合(先発出場は19試合)に出場して9得点を挙げる活躍でした。
|
|
|
|
| 経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
出場
試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1994年−1995年 |
レアルマドリード |
28 |
9 |
2 |
1 |
- |
- |
- |
| 合計 |
|
28 |
9 |
2 |
1 |
- |
- |
- |
|
|
 |
|