FERNANDO HIERRO - BIOGRAPHY
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2002年8月30日
スーパーカップを初制覇
スーパーカップでチャンピオンズリーグ優勝のレアルマドリードは、モナコのルイ2世スタジアムでUEFAカップ優勝のフェイエノールトと対戦しました。

レアルマドリードは、ロベルト・カルロス、グティなどのゴールによりフェイエノールトを3対1で下しました。キャプテン・イエロ率いるレアルマドリードは、3度目の挑戦で初めてスーパーカップのタイトルを獲得しました。

出場選手
GK:カシーリャス
DF:サルガド、イエロ、エルゲラ、ロベルト・カルロス
MF:マケレレ、カンビアッソ(パボン、88分)、ジダン(ソラリ、86分)、フィーゴ
FW:ラウル、グティ(ポルティーリョ、71分)

結果
レアルマドリード 3−1 フェイエノールト

得点
1−0(パウウェ、OG、14分) 2−0(ロベルト・カルロス、21分) 2−1(ファン・ホーイドンク、56分) 3−1(グティ、60分)

2002年9月2日
1部リーグ通算414試合出場
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた1部リーグ開幕戦のエスパニョール戦に先発出場。1部リーグ通算414試合となりレアルマドリードではカマチョ(前スペイン代表監督)と並ぶ歴代5位に浮上しました。

2002年9月7日
ラウルがイエロに追いつく
2004年欧州選手権予選のギリシャ戦の開始直後の8分にラウルは先制ゴールを記録。ラウルは、スペイン代表で通算29得点としてイエロの最多得点記録に並びました。

2002年9月24日
ペレス会長の会食会に出席
フロレンティーノ・ペレス会長、ホルヘ・バルダーノ・スポーツ総合部長は、トップチームのキャプテン、イエロ(第1キャプテン)、ラウル(第2キャプテン)、グティ(第3キャプテン)とロベルト・カルロス(第4キャプテン)との恒例の会食会をセニョリィーオ・デ・アルコセル(バスク料理レストラン)で開催しました。

幹部と選手間には、”報奨金問題”がありますが、今回は、ロベルト・カルロスが第4キャプテンに就いたことを祝うことがメインでした・・・
2002年11月12日
4週間の戦線離脱
チャンピオンズリーグ1次リーグ第6節のゲンク戦の6分に右足くるぶしを負傷、30分までプレイしましたがエルゲラと交代。4週間の戦線離脱に・・・

2002年12月3日
再び、クラブ世界一に
チャンピオンズリーグで優勝したレアルマドリードは、ヨーロッパ/サウスアメリカカップで、リベルタドーレスカップ優勝のオリンピア(パラグアイ)と対戦しました。

レアルマドリードは、オリンピアを2対0で下して4年ぶり3度目のヨーロッパ/サウスアメリカカップのタイトルを獲得しました。

決戦の舞台は、今回から国立霞ヶ丘競技場から横浜国際総合競技場へ移りました・・・

出場選手
GK:カシーリャス
DF:サルガド、イエロ、エルゲラ、ロベルト・カルロス
MF:マケレレ、カンビアッソ(パボン、89分)、フィーゴ、ジダン(ソラリ、85分)
FW:ラウル、ロナウド(グティ、81分)

結果
レアルマドリード 2−0 オリンピア

得点
1−0(ロナウド、13分) 2−0(グティ、84分)

2002年12月11日
3週間の戦線離脱
チャンピオンズリーグ2次リーグ第2節のロコモティフ・モスクワ戦で右くるぶしを負傷して3週間の戦線離脱。怪我が多くなってきました・・・

2002年12月27日
アンダルシア代表栄誉賞を受賞
アンダルシア・サッカー連盟からアンダルシア代表栄誉賞を受賞しました。イエロは、12月11日に行われたチャンピオンズリーグのロコモティフ戦で負傷しましたが、クリスマス休暇の恒例の試合、アンダルシア選抜チーム対チリの試合に駆けつけました。

2003年2月8日
レアルマドリードで1部リーグ通算出場試合数が歴代3位に
1部リーグ第21節のベティス戦に出場したイエロは、レアルマドリードで1部リーグ通算出場試合数を429試合としました。これのより、イエロは、フランシスコ・ヘントを抜いてレアルマドリードで歴代単独3位になりました。

イエロは、”4番”を付けてレアルマドリードでデビューしました。同選手のお気に入りの番号で通算305試合で光彩を放ってきています。しかしながら、そこに至るまでイエロの背中にはいくつかの背番号が見られました。

3番(1試合)、5番(6試合)、6番(98試合)、10番(1試合)、14番(3試合)、15番(1試合)、そして、なんと9番(合計12回)も・・・ポジションを示す番号は、選手の特徴と一致していませんでした。恐らく、この場合、”相手を欺く”ことを狙った監督の願いがより影響していたのでしょう。

1996年−1997年のシーズン、規則化されて、選手は、常に、同じ番号を付ける必要がありました。これにより、イエロは、”4番”を選択。この番号で最も多くの試合に出場してきています。

【フェルナンド・イエロのレアルマドリードでのリーグ記録】
試合数:
429試合(ホームで221試合、アウェイで208試合)
勝利数:246勝(ホームで165勝、アウェイで81勝)
引き分け数:104引き分け(ホームで36引き分け、アウェイで68引き分け)
負け数:79敗(ホームで20敗、アウェイで59敗)
得点:102得点(ホームで60得点、アウェイで42得点)
リーグ優勝:4回

2003年6月15日
現役選手でダービー最多出場に
ビセンテ・カルデロン・スタジアムで行われたアトレティコ・マドリード戦に出場。イエロにとっては19回目のダービー(通算4得点)となりました。歴代記録ではフランシスコ・ヘントの29試合。

2003年6月20日
アディダス少年サッカークリニックで指導
レアルマドリードを訪れたスポーツ用品メーカーのアディダスは、マドリードのアスカ広場で200人以上の子供達を集めてクリニックを開きました。

クリニックには、レアルマドリードからイエロ、ラウル、ジダン、カンビアッソとソラリが参加。選手達は、子供達を喜ばせましたが、”リーグ優勝して!”と言う実にはっきりとした声援を受けました。口元に笑みを絶やさず、選手達は、参加者に対してタイトルを約束しました。その後、イエロ、ソラリとカンビアッソは、それぞれサイン会のため、カステリャーナ、プレシアードスとゴヤにあるエル・コルテ・イングレスへと向かいました。

来シーズンの新ユニフォームのプレゼンテーションを終えて、アディダスは、アスカ広場で200人以上の子供達を集めてクリニックを開きました。クリニックには、イエロ、ラウル、ジダン、カンビアッソとソラリが参加、子供達から拍手喝采で迎えられました。レアルマドリードの選手達は、2003年−2004年シーズン用のユニフォームを着用、見物席には100人以上がいる中、人工芝のグランド上で即席教室を開催。

イエロは、フリーキックの蹴り方を子供達に指導する責任がありました。ラウルは、巧みにまた正確にシュートする方法を指導。ジダンは、セカンド・ユニフォームを着て、ボールの扱い方を子供達にしっかりと言い含める役割を持ちました。第2グランドでは、ソラリが、”新しいチームメート”と共に3人1組でプレイ。最後に、カンビアッソは、サンティリャーナの特待生になり、子供達のヘディングを楽しみました。

暑さにも拘らず、選手達は、このイベントを楽しみ、子供達は、笑顔が絶えませんでした。クリニック終了前のメッセージは、実にはっきりとしたもので、”リーグ優勝して!”と言うものでした。選手達は、土曜日、アスレチックとの対戦を前にした最後の練習を行っていましたが、約束して会場を後にしました。イエロ、カンビアッソとソラリは、サイン会が開かれたエル・コルテ・イングレスの各店舗へ向かいました。

2003年6月22日
リーグ優勝を達成
レアルソシエダードとのリーグ優勝争いは最終節までもつれ込みました。レアルマドリードは、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでアスレチックを3対1で下して通算29回目の優勝を達成しました。キャプテンのイエロにとっては通算5回目の優勝となりました。
2003年6月23日
レアルマドリードを退団
キャプテンのイエロは、2003年6月30日にレアルマドリードとの契約が満了するのに伴いレアルマドリードを退団することを決心しました。

2003年6月22日にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行われた1部リーグ最終節のアスレチック戦がレアルマドリードでの最後の公式戦となりました。(リーグ優勝を決めた試合)

イエロは、スペイン国外のクラブで現役選手を続けるか、現役引退かの決断を下す必要があります。

キャプテンと共にレアルマドリードを退団することを決心したのは、イエロの最大の理解者の一人であるビセンテ・デル・ボスケ監督でした・・・
経歴
シーズン チーム リーグ カップ UEFA大会
出場試合 得点 出場試合 得点 大会種別 出場試合 得点
1987年−1988年 バリャドリード 29 1 - - -
1988年−1989年 バリャドリード 29 2 - - -
1989年−1990年 レアルマドリード 37 7 5 0 C1 4 0
1990年−1991年 レアルマドリード 35 7 1 0 C1 5 1
1991年−1992年 レアルマドリード 37 21 7 3 C3 9 2
1992年−1993年 レアルマドリード 33 13 6 0 C3 6 5
1993年−1994年 レアルマドリード 34 10 3 0 C2 4 1
1994年−1995年 レアルマドリード 33 7 2 0 C3 5 0
1995年−1996年 レアルマドリード 31 7 2 0 C1 5 1
1996年−1997年 レアルマドリード 39 6 6 2 - - -
1997年−1998年 レアルマドリード 28 3 1 0 C1 10 3
1998年−1999年 レアルマドリード 28 6 3 1 C1 7 1
1999年−2000年 レアルマドリード 20 5 2 0 C1 10 1
2000年−2001年 レアルマドリード 29 5 1 0 C1 12 1
2001年−2002年 レアルマドリード 30 5 3 0 C1 14 0
2002年−2003年 レアルマドリード 25 0 1 1 C1 10 0
レアルマドリード合計 439 102 43 7 - 101 16
合計 497 105 - 101 16
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