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| FERNANDO HIERRO - BIOGRAPHY |
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| 2001年7月 |
| 夏の休暇 |
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フォルメンテーラ島で夏の休暇を取りました。ラウル・ファミリーも合流。家族ぐるみでのんびりとしていました・・・ |
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| 2001年7月23日 |
| 契約更改 |
2002年6月30日で契約満了となるキャプテンのイエロは、2003年6月30日まで契約更改を行いました。
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| 2001年8月19日・22日 |
| スペルコパを制覇 |
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リーグ優勝のレアルマドリードは、コパデルレイ優勝のサラゴサとスペルコパで対戦しました。
8月19日にラ・ロマレーダ・スタジアムで行われた第1戦、レアルマドリードは、サラゴサと1対1で引き分けました。8月22日にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行われた第2戦、レアルマドリードは、サラゴサを3対0で下しました。
レアルマドリードは、4対1(2試合合計)でサラゴサを下してスペルコパのタイトルを獲得しました。 |
【スペルコパ第2戦】
出場選手
GK:カシーリャス
DF:サルガド、イエロ、カランカ、ロベルト・カルロス(ソラリ、85分)
MF:フラビオ、マケレレ、フィーゴ、ジダン(サビオ、71分)
FW:ラウル、モリエンテス
結果
レアルマドリード 3−0 サラゴサ
得点
1−0(ラウル、74分) 2−0(ラウル、82分) 3−0(ラウル、89分)
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| 2001年11月4日 |
| イエロ vs リバウド |
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サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた1部リーグ第11節のバルセロナとのクラシコはモリエンテスとフィーゴのゴールでレアルマドリードが2対0でバルセロナを下しました。
5年間続いたレアルマドリードのイエロvsバルセロナのリバウドはこのシーズンで幕を閉じました・・・ |
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| 2001年12月15日 |
| レアルマドリードで1部リーグ通算400試合出場を達成 |
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行われた1部リーグ第17節のレアルソシエダード戦に出場してレアルマドリードで1部リーグ通算400試合出場を達成しました。なお、1部リーグ通算出場試合数は、バリャドリード時代を含めて457試合。
【レアルマドリードの歴代通算出場数ランキング】
1.マヌエル・サンチス:524試合
2.サンティリャーナ:461試合
3.ヘント:428試合
4.ピーリ:418試合
5.カマチョ:414試合
6.ミチェル:404試合
7.イエロ:400試合
8.チェンド:363試合
9.アマンシオ:344試合
10.ブーヨ:343試合
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| 2001年12月27日 |
| 20世紀最優秀選手賞を受賞 |
アンダルシアサッカー連盟から20世紀最優秀選手賞を授与されました。
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| 2002年1月19日 |
| 1ヶ月の戦線離脱 |
1部リーグ第21節のマラガ戦で肩を脱臼、1ヶ月の戦線離脱に・・・
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| 2002年2月9日−17日 |
| プラネット・フットボールに登場 |
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2002年2月9日から17日までバルセロナのフィラ・デ・バルセロナでプラネット・フットボールが開催されました。
イエロは、ディエゴ・トリスタン、ビセンテ、カニサレス、シャビやテリェスなどと共にアディダスのデザインした新しいサッカーシューズのプレゼンテーションに登場しました。 |
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| 2002年3月24日 |
| レアルマドリードで1部リーグ通算100得点を達成 |
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた1部リーグ第31節のサラゴサ戦の14分に挙げたゴールがレアルマドリードでの1部リーグ通算100得点となりました。イエロはこの試合でハットトリックを達成。レアルマドリードは3対1でサラゴサを下して首位をキープしました。
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| 2002年3月25日 |
| 34歳の誕生パーティー |
3月23日に34歳の誕生日を迎えたイエロの誕生パーティーにフィーゴ、ラウル、ミヤトビッチ(フィオレンティーナ)やゾラン・ベキッチ氏(イエロの代理人)などが集まり祝いました。
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| 2002年5月15日 |
| チャンピオンズリーグを制覇 |
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チャンピオンズリーグ決勝戦の舞台は、1960年にレアルマドリードが5連覇を達成したグラスゴーのハンプデン・パークでした。
レアルマドリードは、準々決勝でバイエルン・ミュンヘン、準決勝でバルセロナと言った強豪チームを破り、決勝戦でバイヤー・レバークーゼンと対戦しました。
レアルマドリードは、ラウルとジダンのゴールによりバイヤー・レバークーゼンを2対1で下して2年ぶり9度目のタイトルを獲得しました。
イエロは、14試合に出場してタイトルの獲得に貢献しました。 |
出場選手
GK:セサル(カシーリャス、67分)
DF:サルガド、イエロ、エルゲラ、ロベルト・カルロス
MF:フィーゴ(マクマナマン、60分)、マケレレ(フラビオ、71分)、ソラリ、ジダン
FW:ラウル、モリエンテス
結果
バイヤー・レバークーゼン 1−2 レアルマドリード
得点
0−1(ラウル、9分) 1−1(ルシオ、14分) 1−2(ジダン、45分)
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| 2002年5月30日 |
| UEFA最優秀ディフェンダー部門にノミネート |
チームメートのロベルト・カルロスと共にUEFA最優秀ディフェンダー部門にノミネートされました。
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| 2002年5月31日−6月30日 |
| ワールドカップ韓国・日本大会に出場 |
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ワールドカップ韓国・日本大会でホセ・アントニオ・カマチョ監督によりチームメートのラウル、モリエンテス、エルゲラ、カシーリャスと共にスペイン代表に招集されました。キャプテンのイエロにとっては、イタリア大会、米国大会、フランス大会に次いで4度目の大会となりました。
イエロは、グループ予選の2試合で2得点を挙げて、スペインの決勝トーナメント進出に貢献しました。スペインは、準々決勝で韓国にPK戦の末に敗れてベスト8で終わりました。イエロは、4試合(2得点)に出場してワールドカップのベスト11にノミネート、また、ゴールデンボール賞の第10位に入りました。
2002年6月18日、イエロは、ワールドカップ韓国・日本大会を最後にスペイン代表から引退することを表明しました。イエロは、スペイン代表で89試合に出場、29得点[注1]を挙げました。なお、ワールドカップでは通算5得点を記録。[注2]
[注1]歴代最多得点記録
[注2]ブトラゲーニョ、モリエンテスと共に歴代最多得点記録 |
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| 経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1987年−1988年 |
バリャドリード |
29 |
1 |
|
|
- |
- |
- |
| 1988年−1989年 |
バリャドリード |
29 |
2 |
|
|
- |
- |
- |
| 1989年−1990年 |
レアルマドリード |
37 |
7 |
5 |
0 |
C1 |
4 |
0 |
| 1990年−1991年 |
レアルマドリード |
35 |
7 |
1 |
0 |
C1 |
5 |
1 |
| 1991年−1992年 |
レアルマドリード |
37 |
21 |
7 |
3 |
C3 |
9 |
2 |
| 1992年−1993年 |
レアルマドリード |
33 |
13 |
6 |
0 |
C3 |
6 |
5 |
| 1993年−1994年 |
レアルマドリード |
34 |
10 |
3 |
0 |
C2 |
4 |
1 |
| 1994年−1995年 |
レアルマドリード |
33 |
7 |
2 |
0 |
C3 |
5 |
0 |
| 1995年−1996年 |
レアルマドリード |
31 |
7 |
2 |
0 |
C1 |
5 |
1 |
| 1996年−1997年 |
レアルマドリード |
39 |
6 |
6 |
2 |
- |
- |
- |
| 1997年−1998年 |
レアルマドリード |
28 |
3 |
1 |
0 |
C1 |
10 |
3 |
| 1998年−1999年 |
レアルマドリード |
28 |
6 |
3 |
1 |
C1 |
7 |
1 |
| 1999年−2000年 |
レアルマドリード |
20 |
5 |
2 |
0 |
C1 |
10 |
1 |
| 2000年−2001年 |
レアルマドリード |
29 |
5 |
1 |
0 |
C1 |
12 |
1 |
| 2001年−2002年 |
レアルマドリード |
30 |
5 |
3 |
0 |
C1 |
14 |
0 |
| レアルマドリード合計 |
|
414 |
102 |
42 |
6 |
- |
91 |
16 |
| 合計 |
|
472 |
105 |
|
|
- |
91 |
16 |
|
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