| バティスタ/Julio Cesar Baptista |
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元ブラジル代表のミッドフィールダー。強靭な肉体を持ち、メディオセントロ、メディアプンタ、デランテロでプレイが可能な有能な選手。スペインへ渡りストライカーとして開花。ニックネームは、ブラジル時代の”エル・タンケ”(戦車)からセビーリャでは”ラ・ベスティア”(野獣)に変更・・・
2005年−2006年のシーズン、セビーリャからレアルマドリードへ移籍。2006年−2007年のシーズン、レイエスとトレードでアーセナルへ1年間のレンタル移籍。2007年−2008年のシーズン、レアルマドリードへ復帰。スペイン国籍を取得。2008年8月、ローマへ移籍。 |
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| Curiosity |
ジュリオは一人っ子で父親を早くに亡くしています。祖父母と母親に育てられました。質素な生活をしていましたが不自由はなく、母親は、常に、良い学校へ通わせており、きっちりとした教育を受けさせました。
スペインが気に入っている点は太陽、気候、食事とセビリャーナがとても綺麗なため。ブラジルに彼女がいましたが遠距離のため破局。セビリャーナのラウラに夢中・・・趣味はゴルフ。時々、友人のロナウドとプレイするためマドリードへ出て来ることも。スペイン・ギターも中々の腕前。ジュリア・ロバーツのファン。[2004年12月]
ビリャレアルで行なわれた麻薬撲滅チャリティマッチのイベントからネルビオンの部屋に戻った際、空き巣に入られてることに気付きました。被害額は、宝石や時計のコレクションなど1万ユーロ相当。[2005年1月]
ペレがマドリードを訪問した機会を利用して、子供の頃の憧れの選手に会うためマドリードへ。1月16日12時30分、代理人のジュアン・フィッガー氏、エルミニオ・メネンデス氏と共にホテル・リッツに到着。ペドロ・デ・フェリペ氏が合流してデ・マリアへ移動。会食会は夕方まで続きました。[2005年1月]エル・オリバル・デ・ラ・イノホサで開催の第1回コルテフィエル大会(心血管疾患の人の支援が目的)に参加。[2006年5月]
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| 2000年 |
サンパウロでプレイ。サンパウロ・リーグとサンパウロ・カップ(U20)で優勝。
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| 2001年 |
サンパウロでプレイ。2001年5月30日から6月10日に開催のコンフェデレーションズカップ韓国・日本大会でブラジル代表に招集。5月26日の東京ヴェルディとの練習試合に出場。ワシントンと共にゴールを挙げて2対0で快勝。6月4日の日本戦でブラジル代表でデビュー。バティスタは2試合(0得点)に出場。ブラジルは3位決定戦でオーストラリアに0対1で敗れました。
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| 2002年 |
サンパウロでプレイ。サンパウロ・リーグで優勝。
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| 2003年−2004年 |
サンパウロでプレイ。2003年1月に開催のカタール・トーナメントでブラジル代表に招集。1月22日の中国戦でドブレーテを記録、3対2で逆転勝ち。バティスタは4試合に出場して3得点を記録。
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7月、セビーリャへ移籍。(5年契約、契約違約金3,600万ユーロ、年俸40万ユーロ)7月12日から27日に開催のCONCACAFゴールドカップでブラジル代表に招集。バティスタは5試合(0得点)に出場、ブラジルは決勝戦でメキシコに0対1で敗れました。
8月31日にラモン・サンチェス・ピスフアンで行なわれたアトレティコ・マドリードとの1部リーグ開幕戦でスペインリーグでデビュー。25分に初ゴールを記録。ガリャルドのカウンター攻撃から左に展開、レイエスがセンタリング、アトレティコ・マドリードのディフェンス陣のミスを突いてバティスタがブルゴスからゴールを奪いました。セビーリャはバティスタのゴールで1対0で勝利。
2004年2月14日の1部リーグ第24節のムルシア戦でハットトリックを達成、チームは3対1で快勝。2月18日のアイルランドとの親善試合に出場。3月31日のワールドカップ南米予選のパラグアイ戦に招集。4月18日の1部リーグ第33節のラシン・サンタンデール戦で4得点を記録、チームは5対2で快勝。4月28日のハンガリーとの親善試合に出場。5月20日のフランスとの親善試合に出場。
5月23日の1部リーグ最終節のオサスナ戦で決勝ゴールを挙げて20得点(30試合)の大台に乗せました。得点ランキングでロナウドに次いで2位に・・・セビーリャは6位に入りUEFAカップの出場権を獲得。5月25日にカンプ・ノウで行なわれたカタルニア選抜との親善試合でブラジル代表に招集。ロナウドと共にドブレーテを達成、ブラジルは5対2で快勝。
ワールドカップ南米予選のアルゼンチン戦(6月2日)とチリ戦(6月6日)に出場。7月6日から25日に開催のコパアメリカ・ペルー大会でブラジル代表に招集。バティスタは右足を負傷していたため1試合(0得点)のみに出場。ブラジルは決勝戦でアルゼンチンをPK戦で下して優勝。バルセロナが関心を示す・・・
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| 2004年−2005年 |
2004年8月、デル・ニド会長が、契約更新(2010年まで)、契約違約金の引き上げ(6,000万ユーロ)および年俸改定(80万ユーロ)を提示するものの、バティスタは、ダリオ・シルバ並みの150万ユーロ、少なくとも、実績を評価して120万ユーロを希望。いずれも合意に至らず・・・背番号が19番から10番に変更。
9月5日のワールドカップ南米予選のボリビア戦に招集。9月16日のナシオナルとのUEFAカップ1回戦第1戦に出場、UEFA大会でデビュー、先制ゴールを挙げてチームの勝利(2対0)に貢献。9月19日の1部リーグ第3節のレバンテ戦でドブレーテを達成しましたが大腿骨二頭筋を損傷(2年前にも負傷)して戦線離脱。”野獣”も人間であったことが証明されました・・・
10月17日の1部リーグ第7節のバレンシア戦から復帰、復活のゴールを挙げてチームの逆転勝利(2対1)に貢献。11月17日のワールドカップ南米予選のエクアドル戦に招集。12月2日のUEFAカップ・グループステージ第3節のAEKアテネ戦でドブレーテを達成。セビーリャは3対2で勝利、ラウンド・オブ16への進出を決定。12月29日と30日にマルベーリャで開催のフリーキック・マスターの参加者32名に選ばれました。
24得点を挙げて2004年を終えました・・・2005年1月8日、レアルマドリードのサッキ・サッカー部長とラモン・マルティネス総合部長補佐がサンチェス・ピスフアンでのヘタフェ戦を視察・・・1月12日のレクレアティーボとのコパデルレイ3回戦第1戦に出場、ドブレーテを達成してチームの勝利に貢献。コパデルレイ準々決勝(1月26日と2月2日)でオサスナに3対4(2試合合計)で敗れて準決勝進出はできませんでした。
2月、2年間の契約更新でセビーリャと交渉。(セビーリャは契約違約金を6,000万ユーロへ引き上げを要請。)2月9日の香港との親善試合に出場。3月、デル・ニド会長はアトレティコ・マドリードからのオファーを否定。UEFAカップ・ラウンド・オブ16(3月10日と17日)でパルマに0対1(2試合合計)で敗れて準々決勝進出はできませんでした。バティスタはUEFAカップで8試合に出場して5得点を記録。
5月14日の1部リーグ第36節のレアルマドリード戦の89分に同点ゴールを挙げました。ヘスス・ナバスの右サイドからのセンタリングをヘッドであわせてゴール。レアルマドリードは2対2の引き分けに持ち込まれてバルセロナのリーグ優勝が決定・・・1部リーグで18得点(33試合)を記録。得点ランキングでロナウドに次いで5位に・・・セビーリャは6位に入りUEFAカップの出場権を獲得。
6月15日から29日に開催のコンフェデレーションズカップ・ドイツ大会でブラジル代表に招集。バティスタは2試合(0得点)に出場。ブラジルは決勝戦でアルゼンチンを4対1で下して優勝。バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、トッテナムが関心を示す・・・
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| 2005年−2006年 |
2005年7月27日のバドワイザー上海国際大会の上海ユナイテッド戦に出場、1ゴールを挙げてチームの勝利(2対0)に貢献。7月29日、5年契約でレアルマドリードへ移籍。移籍金は2,000万ユーロ。8月1日、サニタス・ラ・サルスエラ病院でのメディカル・チェックにパス、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで入団発表。背番号は8番に決定。8月17日のクロアチアとの親善試合に招集。8月3日からのイルドニング合宿に参加。
8月7日のASKトレンクワルダーとの練習試合でレアルマドリードでデビュー。8月14日のハンガリー代表との親善試合(トリビュート・トゥ・プスカス)に出場、オーウェンへのアシストを決めてチームの勝利(3対1)に貢献。8月17日のクロアチアとの親善試合に出場。8月23日のMLS選抜とのサンティアゴ・ベルナベウ杯でベルナベウでデビュー。8月28日のカディスとの1部リーグ開幕戦に出場、レアルマドリードの公式戦でデビュー・・・
9月6日のセビーリャのクラブ創立100周年記念試合(ブラジル代表)に出場。9月10日の1部リーグ第2節のセルタ戦でレアルマドリードで初ゴールを挙げましたがチームは逆転負け。9月13日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第1節のオリンピック・リヨン戦に先発出場、チャンピオンズリーグでデビュー・・・10月2日の1部リーグ第6節のマリョルカ戦でダメ押しゴールを記録。
10月9日のワールドカップ南米予選のボリビア戦に出場。10月19日のチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節のローゼンボリ戦で左膝を負傷、4週間から5週間の戦線離脱・・・11月19日の1部リーグ第12節のバルセロナ戦から復帰。2006年2月8日のサラゴサとのコパデルレイ準決勝第1戦で1ゴールを記録。チームは1対6で完敗。サラゴサに5対6(2試合合計)で敗れて準決勝で敗退。バティスタは6試合すべてに出場。
3月4日の1部リーグ第26節のアトレティコ・マドリード戦で決勝ゴールを記録。3月26日の1部リーグ第30節のデポルティーボ戦で1ゴールを記録。チームは2位に浮上。4月16日の1部リーグ第33節のヘタフェ戦で先制ゴールを挙げましたがチームは1対1で引き分け。(他に2本のシュートがゴールに阻まれました)4月30日の1部リーグ第35節のオサスナ戦でPKを決めて勝利に貢献。
5月7日の1部リーグ第37節のビリャレアル戦でドブレーテを達成。チームは3対3で引き分けて2位をキープ。ワールドカップ・ドイツ大会のブラジル代表メンバーから外れました。1年目のシーズン、リーグで32試合に出場して8得点を記録。(ロナウド、ジダンに次いでロビーニョと共に3番目)7月、アーセナルが関心・・・
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| 2006年−2007年 |
2006年7月12日、バルデベバスでプレシーズンを開始。7月17日からのイルドニング合宿に参加。7月21日のプリマス・アーガイルとの練習試合で決勝ゴールを記録。7月25日のATVイルドニングとの練習試合でハットトリックを達成。8月7日からの米国遠征に参加。8月16日のノルウェーとの親善試合に出場。ドゥンガ監督のデビュー戦でブラジル代表に復帰しました。
9月1日、レイエスとのトレードでアーセナルへ1年間のレンタル移籍。(2,000万ユーロで買取オプション付)背番号は9番。9月2日のアルゼンチンとの親善試合に出場。9月5日のウェールズとの親善試合に出場。9月9日のミドルスブラ戦でプレミアリーグでデビュー・・・レンタル移籍のウッドゲートと対戦。2007年1月9日のリバプールとのカーリングカップ準々決勝で4得点を記録。
1月24日のトッテナムとのカーリングカップ準決勝第1戦でドブレーテを記録。(オウンゴールも)3月19日の貧困撲滅チャリティマッチに出場。
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| 2007年−2008年 |
レアルマドリードに復帰。2007年7月30日、イルドニング合宿を終えたチームに合流。7月31日、スペイン国籍を取得。8月9日のテレサ・エレーラ杯決勝戦のデポルティーボ戦で復帰後初ゴールを記録。8月31日、19番で選手登録。9月27日の1部リーグ第5節のベティス戦で1ゴールを記録。10月14日のワールドカップ南米予選のコロンビア戦に出場。12月5日のサンティアゴ・ベルナベウ杯のパルチザン戦で先制ゴールを記録。
12月11日のチャンピオンズリーグ第6節のラツィオ戦で先制ゴールを記録。決勝トーナメント進出に貢献。12月23日の1部リーグ第17節のバルセロナ戦で決勝ゴールを記録。2008年2月10日の1部リーグ第23節のバリャドリード戦で先制ゴールを記録。3月26日のスウェーデンとの親善試合に出場。5月4日、1部リーグ第35節のオサスナ戦でリーグ優勝を達成。
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| 2008年−2009年 |
2008年7月21日からのイルドニング合宿に参加。7月27日のラスク・リンツとの親善試合で同点ゴールを記録。8月14日、レアルマドリードはバティスタのローマへの移籍を発表。
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