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| レアルマドリード歴代選手情報 |
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| アマンシオ/Amancio Amaro Varela |
| ビクトリアからレアルマドリードへ |
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”エル・ブルーホ”(魔法使い)の異名を持ったアマンシオ・アマーロ・バレーラは、1939年10月16日にラ・コルーニャで生まれました。幼少期からサッカーボールに触れてグランド内のできる限り前線でプレイしていました。即ち、アマンシオにとってゴールを挙げることが何よりも一番でした。
15歳の時に地元のビクトリアに加入。1958年−1959年のシーズン、2部リーグのデポルティーボと契約を交わしました。アマンシオはデポルティーボの1部リーグ昇格に貢献。この時、初めて移籍に関する噂が立ちました。リアソール・スタジアムのスタンドには様々なビッグ・クラブのスカウトが偵察するようになっていました。
その中にはレアルマドリードのスカウトも・・・アマンシオのレアルマドリード入りは、ベルナベウ会長の執念と直感がなければご破算になる一歩手前でした。会長はアマンシオのサッカー選手としての価値を正確に把握していました。(学生時代の旧友、”ラ・ボス・デ・ガリシア”の社主、エミリオ・レイが逐一報告。) |
1,000万ペセタと言う法外な移籍金は、アマンシオがレアルマドリードと契約を交わすことを阻む重荷になっていました。レアルマドリードの交渉団は、移籍契約が不可能な状況をサンタ・ポーラで休暇中のベルナベウ会長に報告。ベルナベウ会長は再交渉を指示しました。
しかしながら、話し合いの結果、状況は変わりませんでした。再び、ベルナベウ会長に連絡。ベルナベウ会長は、「アマンシオはレアルマドリードでプレイする。彼を獲得しろ!」と厳しい一言。ベルナベウ会長の本能的な直感が再び的中しました・・・
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| ”イェーイェース”を形成 |
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1962年6月、アマンシオは、レアルマドリードと契約を交わしました。(同じ年、ソコ、ミューラーとヤンコ・ダウシックも加入。)
アマンシオは、レアルマドリードが経験していた変革期において別枠でした。(数年前、レアルマドリードは、チャンピオンクラブズカップ5連覇を達成して国内外で名声を博していました。)
アマンシオは、9月5日にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれたチャンピオンクラブズカップ1回戦のアンデルレヒト戦でレアルマドリードでのデビューを果たしました。 |
リーグでは、9月16日にセビリアで行なわれたベティスとの開幕戦でデビューを果たしました。レアルマドリードが5対2で勝利。アマンシオ自身も1ゴールを挙げました。直ぐにも大成功を収めるようになりました。アマンシオは、1年目のシーズンからリーグ3連覇を達成しました。
1965年−1966年のシーズン、レアルマドリードはチャンピオンクラブズカップ決勝戦へ進出。1966年 5月11日、ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムでパルチザン・ベオグラードと対戦しました。
1点を先制されたレアルマドリードは、70分、グロッソがボールを持ち込みアマンシオへパス、アマンシオは相手ディフェンダーを突破してキーパーが飛び出したところシュートを放ち同点ゴールを挙げました。その6分後、パチンのセンタリングをセレナが胸でトラップした後、強烈なシュートを放ち逆転に成功。”イェーイェース”・レアルマドリードは、2対1でパルチザン・ベオグラードを下して6年ぶりに大会を制しました。
レアルマドリードは、1966年−1967年のシーズンから再びリーグ3連覇を達成。アマンシオは、1969年と1970年に”ピチチ”を獲得しました。アマンシオは、更に、リーグで3回優勝、総統杯で3回優勝を果たしました。1976年、アマンシオは現役生活にピリオドを打ちました。
アマンシオは、レアルマドリードでプレイした14年間、リーグで344試合に出場、総統杯で52試合に出場、UEFA大会で73試合に出場して通算197得点を挙げました。リーグ優勝9回、総統杯優勝3回、チャンピオンクラブズカップ優勝1回を達成。また、リーグ得点王に2回輝きました。
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| 欧州選手権で優勝 |
アマンシオの名声は国境を越えて、FIFAにより世界選抜チームに招集されました。舞台はマラカナ、対戦相手はブラジル代表チームでした。アマンシオと元レアルマドリードのディフェンダー、サバデルのホアキン・ナバーロだけがスペインサッカー界を代表してFIFA選抜チーム入りする栄誉を得ました。
スペイン代表では、1962年11月25日にブカレストで行なわれた欧州選手権予選のルーマニア戦でスペイン代表でデビューを果たしました。1964年6月にスペインで開催された欧州選手権でスペイン代表に招集。ハンガリーとの準決勝で延長戦で決勝ゴールを記録。スペインは決勝戦でソ連を下して大会を制しました。
1966年のワールドカップ・イングランド大会でスペイン代表に招集。スペイン代表での最後の試合は、1974年2月13日にフランクフルトで行なわれたワールドカップ予選のユーゴスラビア戦でした。アマンシオは、スペイン代表で通算42試合に出場して12得点を記録しました。(当時のスペイン代表最多出場記録)
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| ”キンタ・デル・ブイートレ”の育て親 |
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アマンシオは、1975年−1976年のシーズンを最後に現役を引退した後、指導者としての第一歩を踏み出しました。レアルマドリードのフベニールを1年間指導した後、ビジネスの世界へ転身しました。1982年、会長選挙で勝ったルイス・デ・カルロス会長がアマンシオを再起用しました。
アマンシオは、2部リーグのカスティーリャの監督に就任。2年目の1983年−1984年のシーズン、アマンシオは、2部リーグ優勝を達成しました。(このチームは、ブトラゲーニョ、ミチェル、サンチス、マルティン・バスケス、パルデサが形成したあの”キンタ・デル・ブイートレ”がプレイしたことで有名。)
1984年−1985年のシーズン、アマンシオは、レアルマドリードのトップチームの監督に就任しました。しかしながら、結果は伴わず、アマンシオは、1985年4月14日、リーグ第33節のバレンシア戦を最後に監督を辞任しました。
その後、アマンシオは、スポーツ用品メーカーのケルメ社に入社してレアルマドリード担当の責任者に就任しました。 |
2000年7月、アマンシオは、レアルマドリードの役員会入り。クラブ創立100周年実行委員会の委員長に就任しました。トップチームの遠征に帯同。2005年8月14日のハンガリー代表対レアルマドリードの親善試合の際、チームに帯同。ディ・ステファノやサンタマリアと共にプスカスを訪問。
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| 基本情報 |
| 生年月日 |
1939年10月16日 |
| 出身地 |
ラ・コルーニャ |
| 国籍 |
スペイン |
| 身長 |
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| 体重 |
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| 選手 |
| ポジション |
フォワード |
| レアルマドリード在籍 |
1962年7月1日−1976年6月30日 |
| 1部リーグデビュー |
1962年9月16日 ベティス対レアルマドリード |
| 代表デビュー |
1962年11月25日 ルーマニア対スペイン |
| 代表最終出場試合 |
1974年2月13日 ユーゴスラビア対スペイン |
| 代表出場試合数 |
42試合(12得点) |
| 監督 |
| 契約 |
1984年−1985年 |
| 1部リーグデビュー |
1984年9月2日 レアルマドリード対バルセロナ |
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| 選手経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
カップ |
UEFA大会 |
| 出場試合 |
得点 |
出場試合 |
得点 |
大会種別 |
出場試合 |
得点 |
| 1958年−1959年 |
デポルティーボ/2部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1959年−1960年 |
デポルティーボ/2部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1960年−1961年 |
デポルティーボ/2部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1961年−1962年 |
デポルティーボ/2部リーグ |
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- |
- |
- |
| 1962年−1963年 |
レアルマドリード |
28 |
15 |
8 |
1 |
C1 |
2 |
0 |
| 1963年−1964年 |
レアルマドリード |
24 |
6 |
3 |
1 |
C1 |
8 |
3 |
| 1964年−1965年 |
レアルマドリード |
22 |
9 |
0 |
0 |
C1 |
5 |
6 |
| 1965年−1966年 |
レアルマドリード |
25 |
8 |
2 |
0 |
C1 |
7 |
5 |
| 1966年−1967年 |
レアルマドリード |
25 |
7 |
5 |
0 |
C1 |
4 |
0 |
| 1967年−1968年 |
レアルマドリード |
28 |
10 |
8 |
5 |
C1 |
7 |
4 |
| 1968年−1969年 |
レアルマドリード |
29 |
14 |
1 |
0 |
C1 |
2 |
1 |
| 1969年−1970年 |
レアルマドリード |
29 |
16 |
9 |
6 |
C1 |
3 |
1 |
| 1970年−1971年 |
レアルマドリード |
19 |
6 |
2 |
0 |
C2 |
9 |
0 |
| 1971年−1972年 |
レアルマドリード |
28 |
6 |
6 |
0 |
C3 |
3 |
1 |
| 1972年−1973年 |
レアルマドリード |
25 |
8 |
2 |
0 |
C1 |
7 |
1 |
| 1973年−1974年 |
レアルマドリード |
25 |
8 |
3 |
0 |
C3 |
1 |
0 |
| 1974年−1975年 |
レアルマドリード |
17 |
3 |
7 |
1 |
C2 |
2 |
0 |
| 1975年−1976年 |
レアルマドリード |
19 |
4 |
2 |
0 |
C1 |
7 |
0 |
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| タイトル(選手) |
| スペイン |
| リーグ |
1962年−1963年 1963年−1964年 1964年−1965年
1966年−1967年 1967年−1968年 1968年−1969年
1971年−1972年 1974年−1975年 1975年−1976年 |
| コパデルレイ |
1969年−1970年 1973年−1974年 1974年−1975年 |
| リーグ得点王 |
1968年−1969年 1969年−1970年 |
| ヨーロッパ |
| チャンピオンズリーグ |
1965年−1966年 |
| 欧州選手権 |
1964年 |
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| 監督経歴 |
| シーズン |
チーム |
リーグ |
| 試合 |
勝 |
引分 |
負 |
| 1976年−1977年 |
レアルマドリード・フベニール |
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| 1982年−1983年 |
カスティーリャ/2部リーグ |
38 |
15 |
11 |
12 |
| 1983年−1984年 |
カスティーリャ/2部リーグ |
38 |
19 |
12 |
7 |
| 1984年−1985年 |
レアルマドリード |
33 |
13 |
10 |
10 |
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| タイトル(監督) |
| スペイン |
| 2部リーグ |
1983年−1984年 |
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